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ゲント美術館の討論会 第2ヴァージョン

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4月30日にアップしたゲント美術館での討論会は、討論部分が各人にわかれた記事をもとにしたので、
「討論」というニュアンスが減殺されていた。
artdaily記事は、そういう点をとりいれていたので、それを多少とりれて、記事を再構成した。
BRCPは2010年にボッスの全作品の包括的研究のために組織された。最新の技術に基づき、標準化された手法と比較可能な条件によって、ほとんどのボッスの作品を調査した、6年の研究成果は、2冊の本に結実している。また、BRCPの成果が、北ブラバント美術館での特別展である。
 BRCPは、他の研究者がボッスの作品だとしている2、3の作品を排除した。たとえば、ゲント美術館の有名な作品である「十字架を担うキリスト」をボッスの作品でないと、BRCPの研究者たちは、結論づけた。これは2005年のことだったが、ゲント美術館の担当者は、性急な結論を避けて、討論会を2006年の北ブラバント美術館特別展開催後に延ばした。  討論会のスピーカーは、
・Jos Koldeweij (BRCP)
・Griet Steyaert (independent art historian and conservator)
・Maximilian Martens (Professor at the Unversity of Ghent)
・Paul Vandenbroeck (academic researcher at the Royal Museum of Fine Arts in Antwerp)
200人の一般聴衆を集めて公開討論会が開催された。

Jos Koldeweij : ボス絵画の下書きは、通常は完成した絵画とは違っている。「十字架を担うキリスト」 の下書は細部まで絵画と一致している、 BRCPによれば、これは別の画家であることを示している。

Maximilian Martens :  しかし、多くの下書き素描が画家の工房では使われているものだ。ラファエロやブリューゲルは、いくつかの様式の下書きを使っているが、それらの作品はすべて真跡とされているものだ。その上、BRCPは、第3の全く異なった下書き様式の作品をボスの真跡としているではないか。なぜこれを真跡として、「十字架を担うキリスト」を排除するのか?

BRCP:「十字架を担うキリスト」に使われた手法は、他のボスの作品には使われていない。BRCPは、人物の耳の形を複数のボスの作品で比較した。「十字架を担うキリスト」の耳の形は、明らかに他のボスの作品とは違う。

Griet Steyaert:これは、、異なる大きさの絵で比較している。。その上、BRCPが使った「十字架を担うキリスト」の中の1つの耳は破損して補筆したものである。

Jos Koldeweij : 耳だけを比較したわけではない。それはひとつの例だ。手や顔の表現にも同様の違いがある。

PAUL VAN DEN BROECK:ボスの構図にはヴァリエーションが大きい。このことが「十字架を担うキリスト」の特異性の説明にはならないだろうか?


JOS KOLDEWEIJ :: ボスは、確かに多くの様式を使っているのは事実である。しかし、ボスは彼の時代のコンテキストの中で仕事をしている。非典型的な「十字架を担うキリスト」は、多様性の中の1つにしては奇妙に見える。それはカリカチュアすぎるし、精細すぎる。

Griet Steyaert: 他のボスの作品にも同じことがいえるのでは??


PAUL VAN DEN BROECK::我々はボスの作品をその全体として知ることはできない。このために、非典型的な作品を既知の作品からの限られた視点の外においてしまう危険がある。ボスが制作した作品の2%しか残ってないと、信じられているのだから。

Griet Steyaert::  技術的な証拠から、「十字架を担うキリスト」をボスの作品でないと主張するのは不可能だ。例えばBRCPはこの絵は額縁にいれて描いたものではない、それは、塗ってない周辺部もないし、額縁のすぐちかくの画面の下地や彩色層が暑くな る現象(berbe bearedtという用語があるそうだ)がないからである、と主張している。これはこの絵が1525-1530以降 に制作されたことをしめしている、と主張している。しかしながら、Griet Steyaertは、これは証明だと考えない。ブリュージュの「最後の審判」 にもゲントの「聖ヒエロニムス」の画面にも同様な特徴のある部分がある。これは、長い年月の間に絵の周辺部が切断されたからである。これはBRCPは矛盾しているではないか、、

結局::
JOS KOLDEWEIJ は、断固、「十字架を担うキリスト」はボスの他の絵画と似ていないと主張した。、
他のスピーカーは、むしろ似ている。特にロンドンの「茨の冠」とブリュージュの「最後の審判」がよく似ていると主張した。

【artdailyになかった情報】
 **複数のニュースソースから当方が推測***
 古い時代に周囲を切り落として縮めているから縁の盛り上がりなんかそもそも存在しない。オリジナルの縁があればある額縁におおわれた彩色しない木材部もありません。だからRoyal Institute for Cultural Heritage によって、1956-57年に修理しておりに、木をまわりに補って額縁にいれることになったのです。したがってオリジナルの材木の木口がみえず、年輪年代法が使えない状態です。
【artdailyになかった情報 終わり】

ゲント美術館の結論
ボッスの絵画と素描は、伝張的に別々に研究されてきた、そこをついたのがBRCPの美点である。その上、最近は研究成果はすべての人にネットで公開されている。加えて、聖ヒエロニムスが美しく修理されたのもこのプロジェクトのおかげであった  「十字架を担うキリスト」の画家がだれであるか議論されたのは、これが最初ではない。四〇年以上もまえからあった。あらゆる文献とここでの討論に基づき、この絵は西洋美術の歴史のなかで最も幻惑的な作品の一つであるに違いないと、当美術館は強調するものである。
   BRCPは「十字架を担うキリスト」を1530-1540年ごろにボッスの原画に基づいて制作されたコピーだと判断した。討論会出席の他の専門家や当美術館にとっては、この絵がボッスの手になるものとする十分な証拠があるものと考える。当美術館 館長Catherine de Zaegher は「美術館の説明版はボッス作のままにする」。同時に、美術館は、近年の研究をふまえた盗作品の修復計画をたてる。言い換えれば、討論はまだ終わっていない。




by reijiyam | 2019-05-04 14:46 | ニュースとエッセイ | Comments(0)

ゲント美術館での討論会

 

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ボスの「十字架を担うキリスト」(イメージは部分)について、2016年2月17日に ゲント美術館で、 関係者で討論があった。
そのときの概要を紹介したい。
 参加者は、
・Jos Koldeweij はBRCPの代表、確か2001年ロッテルダムのボス展でもカタログ編集していたようだから、かなりお年なんだろうか?
・Griet Steyart 実務的な修復家のようである。
・Maximilian Martensはゲント大学の教授なんだから、ゲント側の擁護者なんだろう。
・Paul Vandenbroeckは、アントワープの人でBRCPにも参加はしていたようだが、立場はやや中立的、ブリュージュの美術館にも勤務していた。
    ゲントでの討論だから、やや地元有利のめんつになっている Jos Koldeweijは、アウェイでの戦いである。
    こういう議論というのは、美術史の様々な方法論や細かい技術、裏の事情などがでてくるので、基本的に面白いものなのだ。


全部よみたいひとは英文で。。英文でも逐語記録ではなく、概要である。
Christ Carrying the Cross by Bosch in the Museum of Fine Arts in Ghent Flemish Primitives
URL::  
http://vlaamseprimitieven.vlaamsekunstcollectie.be/en/research/webpublications/christ-carrying-

the-cross-by-bosch-in-the-museum-of-fine-arts-in-ghent

また、別のもう少し圧縮したレポートがArtDailyにある。短いとはいえ、前述のレポートの不明瞭なところをはっきりさせているような美点もあり、読み合わせるとよくわかる。
ニューヨークのArt Dailyのようである。。
http://artdaily.com/news/85213/The-Hieronymus-Bosch-debate--Authorship-of-Christ-Carrying-the-Cross-questioned#.XI1-7qBUvcs

************* 本文  ***********

BRCPは2010年にボッスの全作品の包括的研究のために組織された。最新の技術に基づき、標準化された手法と比較可能な条件によって、ほとんどのボッスの作品を調査した、6年の研究成果は、2冊の本に結実している。また、BRCPの成果が、北ブラバント美術館での特別展である。
 BRCPは、他の研究者がボッスの作品だとしている2、3の作品を排除した。たとえば、ゲント美術館の有名な作品である「十字架を担うキリスト」をボッスの作品でないと、BRCPの研究者たちは、結論づけた。しかし、ゲント美術館はボッス作品として展示し続けることに決めた。
  討論会のスピーカーは、

・Jos Koldeweij (BRCP)
・Griet Steyaert (independent art historian and conservator
)
・Maximilian Martens (Professor at the Unversity of Ghent)
・Paul Vandenbroeck (academic researcher at the Royal Museum of Fine Arts in Antwerp)

Koldeweijの意見
Jos KoldeweijとBRCPは、 ボスの原作に基づくコピーと推定している。制作時期は1530-1560、
・赤外線レフレクトグラフィーで下書きをみたら、外のボスに帰属された作品の下書きと違っている。また、下書きと絵が一致している。他の作品ではしばしば修正があるものだ。
・形態的特徴(耳や手や衣装の表現特徴)は、他の画家の作品であることを示唆している。
・彩色面の端に絵具の盛り上がりがない。これは絵が描かれたあとで枠にはめたということである。15世紀には、枠に入れた状態で描くのが普通だから、端に絵具の盛り上がりがでる。
・年輪年代法の測定は作品の状態のため実施できない。


Griet Steyaertの反論
16世紀においては。枠に入れて描くことから、だんだんと枠なしのパネルに描くようになったのは確かである。Royal Institute for Cultural Heritage によって、1956-57年に修理しており、その際に縁に木片を付加して額縁にいれているので、現在の状態で、どうこういうことはできない。(よくわかりにくい記述ですが、他の記事(ref)を参照すると、要するに、古い時代に周囲を切り落として縮めているから縁の盛り上がりなんかそもそも存在しない。オリジナルの縁があればある額縁におおわれた彩色しない木材部もありません。だから木をまわりに補って額縁にいれることになったのです、、ということのようです。) 塗っていない基底材がパネルの端にもとはあったかどうかも現在では判定不可能だし、もともと枠に入れて描いたかどうかも判断不可能。
・耳のような細部の比較においては、作品相互の関係とともに、修理の歴史も考慮しなければならない(これもわかりにくいのですが、refによれば、修理箇所で比較してるんじゃないの??という意見)。
・ロンドンNGの「捕縛されるキリスト」(BRCPが真蹟と認定)と「十字架を担うキリスト」の絵筆の使い方は同じであり。同じ画家の筆だと思う。
・私(Griet Steyart)は、BRCPが真蹟としているブリュージュの「最期の審判」とこの絵を両方とも修理したが、同じ画家の作品だと思った。



Martens(マールテンス)の反論

・美術史は厳密科学ではない、どちらかというと、できるだけよい文献を作ろうとする理論どうしの争いである。。
「美術史は過去を予言しようとする一つの試みである。」これはワシントン ギャラリーのJohn Olivier Handかた引用した。自然科学的手法はそれほど効果的なものではない。研究結果は、異論をたてられるべきものだし、主観的意見は排他的なものであってはならない。
・2009年にマールテンス自身ゲントにある2つの作品の赤外線レフレクトグラフィーを撮影した。これから2つの作品の下書きの様式はまったく違っているようにみえた。「十字架を担うキリスト」は、紙の下絵素描を使っていることを示している。聖ヒエロニムスの下書きは、自由な下絵であり、絵画制作過程で創造的なプロセスがあることを湿している。 「死神と守銭奴」 は、第3のタイプで多数のハッチングといくらかの修正がある。
・マールテンスは、1980年代終わりに下絵の機能について人々はたくさんのことを知ることができた、と主張した。下絵を書く人は必ずしも絵を仕上げる人ではない。工房での制作においては、芸術家が異なる様式の下絵を使い分けるのは例外的なことではない。ラファエロ真作だとだれも疑わない作品のなかでも3つの下書きの様式がある。大ブリューゲルの場合もにたようなものだ。
・BRCPは、クローズアップはボッスの時代には稀だtいっている。しかしならがら、15世紀の例がある。シモンマルミオンの写本絵があるし、 Hugo van der Gosの原画は失われているが約40のコピーがあるキリスト哀悼」Lamentation of Christがある。その上、ボッスにもBRCP自身が真作としている「捕縛されるキリスト」The Crowing with Thorns(National Gllery London)があるではないか。
・マールテンスは両作品において顎髭や口髭に鉛泊を使用するという同じ技法があると指摘した。2つは共通の特性があるとはいえ、制作時期が違うのではないかと思う。ただ、マールテンスは同じ画家の作品だと考えている。


Paul Vandenbroeckの意見
・ボスは、自己矛盾・  パラドキシカルな芸術家
・「快楽の園」祭壇画の内面3面の中ですら、様式的な差がある。
・あまりにも少ない作品しか残っていないので、研究が難しい


ゲント美術館の結論

ボッスの絵画と素描は、伝張的に別々に研究されてきた、そこをついたのがBRCPの美点である。その上、最近は研究成果はすべての人にネットで公開されている。加えて、聖ヒエロニムスが美しく修理されたのもこのプロジェクトのおかげであった  「十字架を担うキリスト」の画家がだれであるか議論されたのは、これが最初ではない。四〇年以上もまえからあった。あらゆる文献とここでの討論に基づき、この絵は西洋美術の歴史のなかで最も幻惑的な作品の一つであるに違いないと、当美術館は強調するものである。
   BRCPは「十字架を担うキリスト」を1530-1540年ごろにボッスの原画に基づいて制作されたコピーだと判断した。討論会出席の他の専門家や当美術館にとっては、この絵がボッスの手になるものとする十分な証拠があるものと考える。
当美術館 館長Catherine de Zaegher は「美術館の説明版はボッス作のままにする」。同時に、美術館は、近年の研究をふまえた盗作品の修復計画をたてる。言い換えれば、討論はまだ終わっていない。


ref. The Hieronymus Bosch debate: Authorship of Christ Carrying the Cross questi
http://artdaily.com/news/85213/The-Hieronymus-Bosch-debate--Authorship-of-Christ-Carrying-the-Cross-

questioned#.XI1-7qBUvcs



by reijiyam | 2019-04-30 14:44 | ニュースとエッセイ | Comments(0)

十七帖の翁萬戈本と中村不折本



2007年3月12日に
十七帖の翁萬戈本と中村不折本は同石(同版) 2007/3/12
http://reijiyamashina.sakura.ne.jp/17jho/17jho.html

という文章をアップしておいたが、


 最近、メトロポリタン美術館にあるこの翁萬戈本の写真画像をMETのサイトで得ることができて、
確実に同石であるという証拠を発見した。

下記 図版にある斜めの線が翁萬戈本と中村不折本で全く共通である。一方だけみてたときは紙の折れかとも思ったが、2つで共通だということは、元々の版のキズである。

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ただ、なんで末尾の「悦生」瓢箪印が一方にあって、一方にないのかはわからないが、加えたか除いたかしたのだろう??

by reijiyam | 2016-08-14 11:05 | ニュースとエッセイ | Comments(0)

メムリンク:影のある幻

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  ブリュージュのメムリンク美術館にある 1479年の自筆年紀があるヨハネ祭壇画(Dirk de Vosの呼び方に従う、古くは「聖カタリナの神秘的結婚」とも呼ばれた)は、メムリンクの代表作としてだれも疑わない傑作である。

web Gallery of ARTsのリンクを貼っておく

ただ、中央部画面や外側の肖像画には賞賛を惜しまない人も内面左右、とくに右翼のパトモス島の聖ヨハネの黙示録については、描写がなまぬるい、羅列的だ、煩雑だ、子供っぽい、ちっとも悲劇的ではない、などという貶辞がでてくるのが常であった。

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 この絵はベルギーを訪問したときは必ず鑑賞させていただくお気に入りの名画であるが、そういう貶辞にも一理はあると思っていた。

  だが、2001年にブリュージュのメムリンク美術館で見たとき以来、どうもこの右パネルの狙いを勘違いしていたのではないか? 結果的に成功しているかどうかは別として、かなり変わった試みをやっている絵画なのではないか?と思い直している。

 それは、水面に映る影の描写、を使って、パトモス島の聖ヨハネの幻を実体のあるものとして表現するということである。  西洋絵画でも、天使などを実体のある影をもった物体として表現することは少ない。あのえぐい描写のデューラーでも、それはやっていないようだ。あのボスの怪物たちにも概して影がない。もっともボスのパトモス島の聖ヨハネ(ベルリン)は静謐そのものだ。これもえぐい描写のカラヴァッジョにしても天使に影はつけていないようである。

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 この右翼、矢印で明示するような 騎士たちの影については、以前から指摘されてきた。少し上方には 燃える岩が水面に落ちるところが描かれており、まさに水におちようとするときの水面の影が描かれている。また遠方の巨人の影も描かれている。しかし、これらは、図式的な感じもするものである。

私が震撼したのは、丸い虹の神の空間の前で香を祭壇に焚いている天使の影である。


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 まさにその祭壇の底と人物まで水面に映っている。神と聖人たちを囲む虹色の円それ自体も一部水面に映っている。天使と祭壇の底というか支えている雲?を裏からみているのである。
  また、虹も水面に映っている。しかし、この底の方から覗く神の国という奇妙な感覚には震撼した。
 
  これほど、奇跡や天使を堅固な実体のあるものとして描いた・実感させようとした試みがあったであろうか?
しかも、黙示録には啓示・幻として書いてあるのだから、ここまで描く必要自体本来ないものなのだ。
この試みが成功しているかどうかはともかく、私としては感動した。

  フランドルの画家の後裔であった小説家J.-K. ユイスマンスに対して、米国の批評家ハネカーが評した「神秘主義を厳密に定義し得るもの、重さを量り、手で触れ言葉で証明できうるものと考えていた人物」という文章を、私は連想した。

 この影の描写は、小さな粗悪な図版ではまったく感知不可能であるので、19世紀以来あまり考える人がいなかったのも無理はない。

 できるだけ良い写真を使ったがそれでもまだ、明確に示したとはいえないが、とにかく主張しておく。



by reijiyam | 2015-08-30 16:50 | ニュースとエッセイ | Comments(0)

張遷碑 三拓本 比較

二玄社の中国法書選に入っている張遷碑 翁綬祺本(以下  翁本)はあまり良いものではないですが、大手の出版社でもあり、それなりに普及しているのは困りものです。

そこで、張遷碑の各拓本で、新旧、精粗の比較をやってみましょう。


 現在、日本で一番良い拓本は台東区書道博物館所蔵の拓本です。
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 イメージで、左から、書道博物館本、真ん中が貧架の嘉慶ごろの拓本、右が中国法書選の翁本、これでみたら、「五」の字のキズが大きくなっていて、翁本が新しいことがわかるでしょう。

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 同じような損傷の拡大は、この「囚」字の下部にもみることができます。

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ところが、この「帝」字の右側は、翁本は一見、欠けていないようにみえますね。でも、この右側の線は書道博物館本とは違います。つまり墨を塗って、欠けていないようにみせかけたものなんですね。

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 つぎにまた、別の部分をみてみましょう。一番下の「宿」字の右上の損傷は左から右へ拡大していますね。また、その上の「犁種」の右側は翁本では大きく損傷していて、しかも墨を塗って(濃くつけて)ごまかしています。


 こういう、補墨(墨塗り)によるごまかしは結構あるので注意が必要です。

 翁本では法式善(1752-1813)などの跋がついているので、嘉慶以前の拓本のようにみえるのですが、どうもこれらの跋は他のところからもってきて貼り付けたもののようで、最初からこの拓本についていたものだとはおもえません。書画の場合もそうですが、本体を古く立派なものにみせるために他から跋文や観記を切り取ってきて組み合わせるのはよくあることです。



 他の拓本でネットでみることのできるものでは

張遷碑  淑徳大学のサイト


が割と旧拓しかも精拓で良いみたいですね。ここは西林昭一先生の肝いりだから二玄社も使えるんじゃないかな。


なお、
早稲田の古典籍データベースにある

張遷碑 (PDFファイル) 


は、かなり墨が重いようですが、わりと新しい。 清末民国?か?? あるいは贋物重刻本か? 本物としてもたぶん翁本と変わらない新しい時代のものですね。

by reijiyam | 2015-02-22 10:42 | ニュースとエッセイ | Comments(0)

韮花帖 3種

 五代時代は乱世だったので、あまり有名な書道家はいないが、
楊凝式は、一番 名前が出る人であり、真跡・模写本らしいものも残っている。

 その中で、名前だけは有名で、多くの人が臨書しているのが、この韮花帖である。実際は、たいていは、たぶん法帖拓本をもとに臨書したんだろうなあ。

 この模写本は3種類 確認されていて、一応、羅振玉が百爵斎名人法書に影印したものが最良本とされている。この羅振玉本のカラー影印がインターネットで公開されているので、意外に思った、どうも北京の故宮博物院にあるという。ただ、確認はしていない。
 他の2つは、清朝宮廷にあったものが1点、これは現在 無錫の博物館にあるはずだ。 もう一つは台湾の蘭千山館こと林柏寿先生の所蔵だったもの、これはまだ林家にあるのか台北故宮に寄託されているのか、行方不明なのかわからない。

 この際、3種を並べてみたい。




楊凝式の書には、独特の癖があって面白いので、昔から関心をもってきたが、この韮花帖は一番おもしろみのない気のないものなので、なんで昔から尊重されていたものなのかは不思議だった。

 そうはいっても、ちょっと変わった書風には違いない。
昔々、奈良国立博物館で入唐僧の確か円珍が唐人と交わした文書を展示していたとき、これとよく似た書風だったので、ああこれかな!  晩唐の一書風だったのか?と思ったことがある。



羅振玉 本(北京 故宮??)

 
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清朝 内府 本 ( 無錫)

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蘭千山館

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by reijiyam | 2015-02-20 09:46 | ニュースとエッセイ | Comments(0)

宋拓 華厳経入法界品善財童子参問変相経

2014年12月13日杭州黄龍飯店(杭州市曙光路120号)で行われた
西レイ印社拍売有限公司による古籍文献オークション
で621万人民元だから1億円ぐらいで落札された、

宋拓 華厳経入法界品善財童子参問変相経
http://www.xlysauc.com/news/paimaixinwen/2014-10-17/5635.html
の画像を
大和文華の15号 昭和29年
から 取って紹介する。

もともと東大寺に長く伝わったもので、昭和29年当時は相見香雨氏の所蔵だった。

中国では、「最古の連環画拓本」という評価があるらしいね。
こういう仏画は日本には多いので、それほどのものか、、という感じがしますけど。

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by reijiyam | 2015-01-25 08:09 | ニュースとエッセイ | Comments(0)

漢時代の碁盤

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 1952年に発掘された河北省の望都漢墓からは、石の碁盤がでている。実用品ではなく埋葬用の明器であるが、当時の実用品を模写したものだから、当時の碁盤がどんな形をしていて、線の数がいくつなのかもわかるわけである。

 2002年に前漢の陶器の碁盤模型がでているので、最古例とはいえないが、69cmという実用レベルの大きさのものであり、資料価値は高い。

 この碁盤は有名なはずであるが、ネットにはあまり画像がない。この寫真図版は1955年の出版で2005年に著作権が失効しているので、この際、のせることにした。


この望都漢墓については2007年に壁画のことをアップしていて、そのとき碁盤のことも触れていたんだが、7年経ってもだれもアップしないので、しょうがないのでこの際やることにする。


望都漢墓壁画
http://reijibook.exblog.jp/6979285/


望都漢墓壁画 その2
http://reijibook.exblog.jp/6979313/

Souece;; 望都漢墓壁画. 北京歴史博物館 河北省文物管理委員会編 1955 中国古典芸術出版社 B4精
by reijiyam | 2014-11-15 07:02 | ニュースとエッセイ | Comments(0)

淳化閣帖 最善本の印影

上海博物館が2003年4月 450万ドルを投じアメリカのEllsworhから淳化閣帖第4、第6、第7、第8の4巻を買った。これは、淳化閣帖 最善本  真宋本と 宣伝されているが、果たしてその名に値するものでしょうか?

2008年8月29日に
安思遠本淳化閣帖への疑問http://plaza.rakuten.co.jp/yamashinaReiji/diary/201008290000/
というものをアップしたが、印章の裏移りがこんなに激しい本は他ではみたことがありません。

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他の李宗翰 旧蔵拓本のカラー写真を出来る限りチェックしてみたが、この「最善本」6,7,8のような裏移りは全くといっていいほどみることができません。だいたい李宗翰に限らず、ごく平凡な古い本や拓本帖でも蔵書印が裏移りがするような例はまずないのです。


 ところが、この場合は、「貴重なはずの」「南宋賈似道(1213-1275)の印」の上にまで裏移りしてしまっています。
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 なんか心配になって私が昔押した蔵書印もひっくりかえしてみてみましたが、そう所蔵環境がいいわけでもないのですが、一つも裏移りはありませんでした。

 実は他でただ一つみたのが、朝日新聞創業者 上野理一さんが蘭亭に押した印で裏移りがあった記憶があります。上野理一さんって結構粗雑なんだなあ。。と感じたものでした。まあ、当時の新聞屋だし、今のマスゴミだからなあ。

 さらにひどいのは、賈似道の貴重な印影の上から、李宗翰の印を押しているこの例まであります。
これは裏移りですらなく確信犯です。

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  どうみてもおかしすぎます。おそらく、あまり知識経験のない後人が急いで押したので、この惨状になったのでしょう。

 6,7,8巻とは異なる淳化閣帖第4は、呉栄光の所蔵であったことはまちがいないようですが、こちらにはそういうひどい裏移りはなく、強いて言えば終わりのほうにひとつ「荷屋所得古刻善本」がうっすらと対面にみえるぐらいです。6,7,8のような激しい裏移りはありません。

 雑誌 書法 2005年8期で、 王鐵という人が「弁疑最善本淳化閣帖」という文を書いてます。これは、歴代の印章が偽印であると主張している物ですが、必ずしも正しいかどうかはわかりません。「偽物だ-」と叫んで自分を売り込む人はずいぶん多いので、眉つばもので、再検討が必要でしょう。ただ、古い時代の記録と現状が合わないことは確かです。また、翁方綱から李宗翰への手紙としてあげている記事を王鐵氏は引用しています。たぶんこの6.7.8のことでしょうが注目に値します。 翁方綱は、「淳化閣帖は孫退谷の印があるが評するに足りないもので、明時代の翻刻本数種と比べると粛府本の下にあるもの」と酷評しています。李宗翰はがっかりして返却したか売り払ったかしたのではないか? 倉にほうりこんでしまったかもしれません。

  おそらく 清時代末期時代に、李宗翰所蔵本が出版されたり高価に取引されたころに細工した人がいたのではないかと考えております。
by reijiyam | 2012-02-11 17:16 | ニュースとエッセイ | Comments(0)

北京故宮の古玉のこと

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北京故宮博物院200選展には素晴らしい玉(No,58)も展示されていたが、どうも疑問に思うものもあった。
  例えば No,57だが、図録の拓本イメージを挙げてみる(古代器物の拓本イメージには著作権はない)
  これをみておかしいとおもわないだろうか? どうみても裏か表の彫刻が左右逆だろう?普通こういう神の顔がある彫刻は神の顔の鼻を稜線にして彫るのが普通であろう。では、印刷の間違いで鏡影かとおもったら、そうすると穴の位置がずれてしまう。
 最初にどうも線の彫刻技法に違和感を感じ、風化がないこともちょっとひっかかったが、図録の拓本をみてかなりまずいと思った。ある人によると穴のあけかたにも疑問があるらしい。
  C.T. Looの図録, Chinese Archaic Jades, 1950から、類品の図版をあげておく。迫力が段違いである。同様の玉は大英博物館にもある。

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by reijiyam | 2012-02-07 21:54 | ニュースとエッセイ | Comments(0)