カテゴリ:蔵書( 142 )

よくみる図版だが

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  漢文関係の本、論語とか十八史略とか孫子などの本の表紙や図版に、昔は、しばしばこの画像石?の拓本がのったものだ。ところが、この拓本、原石がどこにあるのかわかならいし、まともな拓本自体少ないようだ。どうやら 古い時代の「漢画」などの石印図録になっていたので、結構流布したが、孫引きをくりかしているうちに、もとは何なのかわからなくなっているということらしい。拓本で測るとサイズは高さ16cm長さ35cmぐらいである。たぶんサイズすらしられていないと思う。
  清時代末期に、北京の骨董屋 尊古斎にあったものだ。
 どうも画像石でなく画像セン(レンガ)であるという伝承があるようだ。ただ、こういう画像センってあまりみたことがないな。

 
by reijiyam | 2011-09-23 11:19 | 蔵書 | Comments(0)

満州国立博物館

昭和10年12月1日発行 書道  第4巻第12号 
34-39p「新設なれる満州国立博物館について」岩村成允

 これを読むと
 1。満州国立博物館は遼寧省博物館の母体である。
 2.ラストエンペラー溥儀は全く協力していない。

この二点に驚かざるをえない。

 
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by reijiyam | 2011-08-20 10:11 | 蔵書 | Comments(0)

鄭板橋集の不思議

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  東京神田神保町の 漢籍専門書店  山本書店にずっと店晒しになっていた板橋集があった。虫食いもあったが、和刻本ということだったので いまいち人気がなかったのだろう。(上)
  東京を離れる前に、酔狂にも買っておいた。東京国立博物館にある墨竹屏風の題との関係も調べておきたかったからだ。さてもともと和刻ということだったので、慶應元年に京都で刊行されたものだとばかり思い込んでいた。ところが最近、ヤフオクで京都版をみてにてもにつないものであることがわかり、じゃあこれはなんだ?
 大陸のオークションででた乾隆原刻本の写真(下)をみると異常に似ている。枠線の切れ目まで似ている。ただ、紙は黄色い和紙のようにもみえるし、極僅かな違いはあるような気がするのでますますわからなくなった。
 清時代の官僚、画家 書家であった鄭板橋の詩文集:板橋集は石印本のほうが流布しているので、刻本はあまりみうけない。
by reijiyam | 2011-04-16 17:20 | 蔵書 | Comments(0)

三国志呉志残巻公開記念

1月8日から京都国立博物館で、三國志呉志残巻が公開されています。これは羅振玉の漢晋書影に収録されていたものですが、個人コレクションだったこともあり、あまり公開されたことはありません。
 なんと、朝日新聞社主 上野家のコレクションだったのですね。ちょっと驚きました。上野家にはまだ他にも珍品があるような気もします。新聞人のくせに公開しようという気がいままでなかったというのはどういうこっちゃ。。。
 当ブログでも
2005年12月に三國志呉志残巻 として一部を紹介しましたが、少し大きなイメージを提供したいと思います。なお、この連れにあたる断片が上野の書道博物館にあって、それは観る機会がありましたが、今回の展覧会では並べて展示されるようです。
その断片については、二〇〇七年に書きました。
台東区書道博物館の 三国志断片
しかし、これほど魏の鐘元常の書を連想させる発掘品もないと思いますね。
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by reijiyam | 2011-01-16 08:58 | 蔵書 | Comments(0)

宇多天皇 周易抄

この宇多天皇の自筆メモは、書道史の本にでることはでるが、良い図版がでることは少なく、習われることが少ないせいか複製もあまりでない。一部に草仮名を使ってあるので仮名の歴史の例としてわずかに取り上げられるくらいだ。(第一のイメージの左下 左上など)
 まあ、目が覚めるような上手さや奇抜さなど全くない、メモ、率意の書なのだから無理もないが、かなり冷遇されていると思う。
 この書をみているとその五〇年あとの小野道風の書風を思い出すところがある。おおぶりで大きく回ったような筆使いをするところが、道風のいわゆる和洋漢字に似ているのだ。菅原道真を起用して遣唐使を廃止したり、和歌を振興したり、かなり国風文化の天皇であらせられたから、和洋漢字の先駆の風がある、というより当時の書家のなかで天皇の好みにあう人の書を習ったのだろうから、当時の流行をリードした功績があるのかもしれない。道風の和洋漢字というがいきなり出たものではない、という証拠でもある。


宸翰集
宮内庁蔵版:臨時東山御文庫取調掛謹輯
京都 小林寫眞製版所 出版年 1927.12

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by reijiyam | 2010-12-18 09:07 | 蔵書 | Comments(1)

奈良八景の墨

2005年九月に古梅園墨譜 後集 というのを書いて、南京八景墨を紹介したが、今みるとイメージの質が悪く、感心しない。
新たにアップすることにした。
 この 安永年間に刊行された古梅園墨譜 後集 の原刊本は最終巻一冊が欠けていて、痛みもあるがとにかく原刊には違いない。ここでは、「南京八景」となっている。

一般の奈良八景は、
 (1) 東大寺の鐘
 (2) 春日野の鹿
 (3) 南円堂の藤
 (4) 猿沢池の月
 (5) 佐保川の蛍
 (6) 雲井坂の雨
 (7) 轟橋の旅人(行人)
 (8) 三笠山の雪
の順だが、これではちょっと違う。

こういうセット墨を作って奈良のお土産にだせばうれるんじゃないかなあ、と思ってはいる。

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by reijiyam | 2010-12-12 09:02 | 蔵書 | Comments(0)

マタイ受難曲LPのリブレット

LPのころは、大きなリブレットを入れようと思えば入れられたので、2枚組以上の函の場合、中にはとんでもない豪華なリブレットがはいっていることがあった。
これはアーノンクール盤のマタイ受難曲LPにはいっていたリブレットで、それほど厚くはないが紙質もよく、バッハの自筆(または近親者による)マタイの楽譜が写真ではいっている。
 表紙の写本図版は有名なベルリンにあるやつだろうが、 ちょっと興味をひくのが3Pにあるイメージにあげた楽譜である。一番上にコーラス sg ソプラノ イン リピエノ とはいって、例のO Lamm Gottes unshultigという最初の2重合唱の、現在では普通ボーイソプラノのコーラスで歌われる部分が書いてある(あとで調べたらこれは1740ごろ作成のパート譜の一つ、なぜか1738年ごろのベルリンにある総譜にはこの部分自体がない!)。アーノンクールの記述では、これは1741年以降に書かれたものらしいが、作曲者の最終稿を決定版として採用するという原則にしたがえば、ここでソプラノ合唱をいれることはおかしくなく当時簡単に使えるソプラノ合唱としてボーイソプラノをいれることはおかしくない。勿論、1730年代の初稿では、このコラールはむしろオルガンで演奏されるようになっていたらしい。
 一九世紀のバッハ復活時に、だれかがボーイソプラノをいれることを考案したという意見はどうも疑わしくおもわれる。不勉強なので、磯山氏などの専門書を借りて来て読んでみようと思っている。

 このニコラウス・アーノンクール(Nikolaus Harnoncourt)という読み方は、これでいいのかな?何か仏独混合のように思う。まだ生きているのだから、名前の読み方をきいておきたいものだ。フランス式なら、ニコラ アーノンクールじゃないかな? ベルリン生まれでヨハン大公の子孫だとすると、 ドイツ式でニコラウス・ハルノンクーツかしら?

SAWT 9572/75という4枚組に付属 1974 Feb TELDEC TELEFUNKEN-DECCA Hamburg

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by reijiyam | 2010-12-08 09:03 | 蔵書 | Comments(0)

琅邪台刻石

 山東省青島近くに秦の始皇帝が建て二世皇帝が追記した石碑で、秦の篆書の例として有名なものである。二世皇帝の部分がわずかに残っている。原石は今は北京の国家博物館(もとの歴史博物館)にある。ところが保存状態が非常に悪く、拓本にとっても朦朧として読みにくい。その点では、文字数が少ない泰山刻石のほうが読みやすいぐらいである。
 文字があまり摩滅していない古い時代の拓本があればいいのだが、これがあまりない。ここであげたのは、阮元旧蔵の全套整紙本。これには上に翁方綱の題がある。阮元が送ってきて急いで題を書けと迫ったらしい。外に車がまっているので急いで書いたと書いてある。
中国美術全集にあげてある拓本よりよほどはっきりみえる。
 琅邪台刻石の影印本ってあまりない。書跡名品叢刊のものは、どうもこの拓本を写真にとって切り貼りし、せん装本にして石印でだしたものの複印らしい。ただ、微妙に違うところもあるので他の拓本を切り貼りしたりいじってあるのかもしれない。名品叢刊以後、琅邪台の拓本はおそろしいぐらい全く影印されないようだ。まあ、ぼやっとしていて習いにくいからだろう。王イ栄の印がある拓本をみたことがあったが、そう強い印象は受けなかったしね。百衲本琅邪台刻石という出版があってきれいに補筆したものだったが、たしかにここまで傷んでるとそういうもののほうがいいかもしれない。あるいはむしろ原拓と百衲本を合冊にして出版するというのが現実的だろう。
 ところでこの琅邪台ってのは色々な漢字で書くようだ。考証学の大学者:翁方綱が「琅邪」と書い
ているし、語石でも同じなのだから、それでいいと思うのだが、「瑯[王+邪]台」とやけに難しく書
いたり「琅[王+邪]台」と書いたりする。簡単な字でよければそれでいいと思うのだが、「邪」を避けようとして色々書いているのかもしれない。

ソース:中華民国時代に上海 藝苑真賞社が出版した「藝圃留眞」という宣紙コロタイプ画集に縮刷
して集録されている。コロタイプなので拡大してもかなりよくみえる。  

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by reijiyam | 2010-11-29 12:46 | 蔵書 | Comments(0)

支那的性格

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支那的性格
  白神徹 訳、 昭和15年、中央公論社、471P、B6サイズ

  長年中国大陸で宗教活動をしていた米国の新教の宣教師 アーサー=ヘンダーソン=スミス師が書いた、中国人論だ。下記 目次をみるだけでも、まことに面白く、中国人は呆れるほど変わらないということがよくわかる好著である。なぜか復刊されないのが不思議だ。エンターテインメントとしても最近のどうでもいいような評論家の本より面白い。原著の著作権はなくなっているだろうし、翻訳者 白神徹氏の著作権もあやしい。中央公論社の出版だから版型は残っていないだろうが、容易に復刊できるだろうに。それとも中央公論出版に変なのがいるのだろうか?
 県立図書館の蔵書を検索したら「禁帯出」だった。471Pの本で禁帯出じゃちょっと楽しんで読むってわけにはいかないなあ。
  イメージはオリジナルの紙函、下部に目次が煽り文句のように入っている。


緒 言
  第一章 面 子 (ミエンツ)       芝居が上手 誇張の天才 命よりも大事な面子
  第二章 節 儉
      粗食 經濟的な支那料理 廢物活用の天才 無駄のない生活 極端な儉約──不潔
  第三章 支那流の勤勉
      富者も孜々として働く 科擧の制──刻苦勉勵 終生を捧げて官吏たらんとす 勉めいそしむ士農工商
  第四章 禮 儀
      習ひ性となれる禮 禮儀三百威儀三千 尊稱敬稱贈答 社會生活を滑かにする禮 婚禮における風習
  第五章 時間の觀念の無視
      東西の挨拶の仕方──吃飯了〈ロ馬〉と How do you do? 慢々的な宴会 西洋人は氣短かだと評す 腰をあげない訪客

  第六章 精確緻密といふことに無頓着
      度量衡・貨幣制度の亂脉 頭を勘定に入れない身長 山地と平地・上りと下りでちがふ一里 往きは一里、歸りは三里
  第七章 勘違ひの才
      故意に命令をはき違へる 梃子でも動かぬ騾馬 金錢上の紛爭絶へず
  第八章 率直を避け婉曲に言ふ才
      英米人の單刀直入 支那人の婉曲 まはりくどい禮儀作法 鹿を指して馬といふ 病?職にたへずといふ辭職願
  第九章 面從後言
      表向は慇懃乍らかげで違背 掛け値のある處刑 口先ばかりの誓約 支那統治の秘訣
  第十章 智的渾沌
      論理的な思索に適せぬ支那語 ルーズな支那語の構造に起因する渾沌 智愚貧富の甚しい國 胃袋と財布以外のことは無頓着

  第十一章 無神經
      倦まず單調な仕事を續ける職人 どんな處でゝも眠れる
  第十二章 外人輕蔑
      外人輕蔑の諸因 「學者」に對する西洋の觀念と支那人の觀念 文人の排外思想

  第十三章 公共心の缺如
      道路溝渠の荒廢 往來の邪魔をする露店 平氣で敵軍に雇はれる支那人
  第十四章 保守主義
      理想は堯舜時代 經書を神聖視 先例を尊ぶ 風水の迷信
  第十五章 西洋流の安樂といふことがない
      住心地といふことに頓着せず 羊ありて毛織物なく、綿のみ依存す ポケットのない支那服 住宅の不便、都市の不衛生 喧噪や雜沓に對して平氣
  第十六章 旺盛な生活力
      厖大な人口 早婚の風習 長壽 病人、負傷者の治癒力
  第十七章 辛抱強さ・粘り強さ
      ユダヤ人を驅逐する支那人 國姓爺の鎮定 天災は止むを得ずとして受け流す
  第十八章 知足・樂天性
      支那の天命と西洋の攝理 足るを知り天を怨みず 窮貧に甘んじ營々と働く 病の床にあつても悠々然たり
  第十九章 支那の孝
      禮は支那精神の粹 孝は英語に飜譯出來ぬ 孝は百徳の基、不孝は最大の罪 祖先を祀る義務は絶對 子孫なきは最大の不孝 孝行説の五つの難點
  第二十章 支那の仁惠
      惻隱の情 仁-積善-功徳-應報-保險 臘八粥の風習 眞心のこもらぬ支那の仁
  第二十一章 思ひ遣りの無さ
      人民は概ねその日暮し 樂しい家庭生活といふものなし 家族制度と娘、嫁の地位 刑罰制度にあらはれた思ひ遣りの無さ 他郷人に對する冷淡さ
  第二十二章 社會的颶風
      風波の基は家族制度 誹謗は第二の天性 支那の喧嘩、西洋の喧嘩 和平を好み訴訟を忌む 仲裁人の力
  第二十三章 支那の責任と遵法の觀念の原始性
      家族・村落における責任 官界における責任 保甲の制
  第二十四章 疑心暗鬼
      銀市場の状態、銀行制度 官民相互の不信 流言風説の國
  第二十五章 不誠實
      一見不思議な史家輩出 支那人の嘘つき 支那商人の正直 誠實よりも面子が大切
  第二十六章 多神論汎神論無神論
      儒教の道徳的感化 宋の註釋家は唯物論者 三教歸一の説 鬼神を欺く、佛像を裁く儒教の欠陥
  第二十七章 支那の實状と當面の必要事
      支那社會の弊害 最大の欠陥は品性と良心 新支那の更生
  附 録 日支度量衡對照表/清國中央及び地方官職
  總索引(事項・人名)
by reijiyam | 2010-10-21 09:21 | 蔵書 | Comments(0)

雪堂校刊群書叙録

最近、大陸で再刊されたようだが、これは天津で羅振玉自身が出した本のようである。本来他の著述と併せて六冊本だったが、貧架には、このかなり傷んだ本が二冊あるのみである。なんとか不愉快でなく読めるように自分で修理したので、蔵書印を押した。私はなんらかの修理をやった本については蔵書印を押す資格があると思っている。
 これは、上部にやけに余白の大きい本だ。こういう余白の本は、結構民国時代にはある。

羅振玉が刊行した本の序跋を集めたもので、羅振玉の学問と嗜好が意外なほど伺われる好著だと思う。日本との関わり合いも多く、例えば石きょう宝笈三篇目録の出版は、日本人  山本俤二郎(澄懐堂)こと山本二峯が北京で買った写本によっている。写本なので宮廷外ではだれもみたことがなかったのだ。また、世説新書の唐抄本は奈良平安のころに日本に伝わったものの残巻を、神田博士のところなどでみせてもらっている。
 この本、最近の大陸のオークションで高価だというので思わず欲がでたが、それは六冊完本の美本のことだった。貧架の本のような汚い端本並本のことではない。そうはいってもこの原刊本はかなり少ないもののようだ。
  縦27.2 横15.1cmという縦長の本である。一般によくあるこの本は縦17cmぐらいの民国期の活字本のほうだ。
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by reijiyam | 2010-09-09 08:22 | 蔵書 | Comments(0)