クメールの微笑

クメールの微笑_e0071614_7195770.jpg  カンボジア国民を約200万人虐殺したポルポト派 クメール・ルージュを「アジア的優しさ」と形容した記事を書き、日本国内の認識を誤らせた朝日新聞記者 和田俊の著作である。230P、ペーパーバック、1975年、朝日新聞社 刊行。これを読むと、本多勝一のような確信犯ゴリゴリの詭弁家・権力志向の人ではなく、もっと天然な普通の人である。あの記事も日本に逃げ帰ってから築地の朝日新聞本社で書いたものなので憶測記事でしかない。現地にいながら、クメール=ルージュの正体がわからなかったというのもひどい話だが、これは悪意でねつ造したというより、政治記者・特派員としての無能によるものである。この本にはポルポトという単語すらない。中国共産党の援助を得たポルポトはプノンペン陥落まで晩年の毛沢東なみに黒幕でありつづけたので、カンボジア人でも、知らなかったと思うから、ここでもキューサムファンしかクメール=ルージュの要人の名前がでてこない。
 当時は中華人民共和国は文化大革命最中で、四人組もまだ大活躍していたわけだ。文革礼賛記事を載せていた朝日新聞としても、文革の虐殺に平行するクメール=ルージュの虐殺など報道したくなかっただろうから、こういう記事が編集部に簡単に通ったのはよく理解できる。
 読んでまず驚くのが、朝日新聞特派員なのに、赴任直後は、現地語(クメール語)が全く喋れないことだ。日本で1週間ぐらいでも特訓していけばよほど違うだろうに。観光旅行じゃないのだから、現地語ができるかどうかは、情報収集能力に大きく影響するはずだ。つまり政府首脳の記者クラブにつめていればいいという安易な考えなのだろう。そこならフランス語か英語でプレス発表があるからである。しかし、それでは、一般の人の意見どころか、知識人の意見だってわからないだろう。
 また、不思議なのは、あとがきに「ともにカンボジア生活をおくった妻」となっていることだ。戦地に妻を同行するなど、正気とは思えない。本文には夫人のことは一言もでてこないので、あたりまえだが単身赴任とばかり思っていた。もともとカンボジア在住の日本女性で在任中か帰国直後、この本の上梓前に結婚したのかもしれず、そのため「妻」という表記になっているのかもしれない。ひょっとしたら、和田夫人は、語学に堪能でサポートをしていたのか、重信房子さんや、高遠菜穂子さんのような戦地にいくような活動家だったのかもしれない。個人のことなどで憶測はこれ以上述べない。

一方、プノンペンを中心とする都市の習俗に限られるようだが、カンボジアの人々の習俗・習慣・慣習などについての鋭い観察、記述は、本当に面白く読ませるものがある。ただクメール人なのか都市に多く住んでいたはずの華僑なのかがあいまいなところがある。そうはいっても、戦時とはいえ大虐殺前の比較的平穏なカンボジア社会での観察記録は価値が高いし読ませるものがある。本多勝一「アラビア遊牧民」などもそうだが、朝日新聞関係でも、このような記事には傑作が多い。そもそも政治経済などを書くような新聞ではないと考えるべきで、ナショナル ゲオグラフィックのような雑誌に特化したほうが良いと思った。
by reijiyam | 2007-12-08 07:23 | 蔵書 | Comments(0)
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