レセップスの肖像

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 これは、1990年ごろ、東京の古書店で、偶然買った
スエズ運河事業のレセップス Ferdinand Marie Vicomte de Lesseps (November 19, 1805–December 7, 1894) の肖像、たぶんもとは銅版画である。
Charles Lahure (1809-1887)
9 rue de Fleurus, Paris
の出版物

スエズ運河が19世紀まで開鑿されなかったのは、隋の煬帝の大運河事業を考えると不思議な感じがする。
 ファラオの権力をもってすれば、さほど困難なこととは思えない。トトメス3世やラーメス2世を思えばなおさらだ。おそらく紅海->地中海に大量の輸送をする需要がファラオ時代には無かったのだろう。
14世紀以降は中国->インド->西アジア->欧州・北アフリカへの陶磁の道、香料香辛料の道、少し後では茶の道があった。これらは大量輸送なので船舶になった。それでも運河にならなかったのは、この時代は、そこまでの権力が存在してなかったか、中継貿易の利権が細かく根をはっていたので妨害されたのではなかろうか?
 絹については、軽い貨物であること、重量比では著しく高価な商品だということ(現在でも高価な錦はグラム単位でいうと黄金より高いものがあるかもしれない)、湿気や虫喰に弱いということで熱帯の海路には不向きだったことがある。だから、スエズ運河とは関係が無いし、陸路のシルクロードが残ったのは、そういう原因が背景にある。







by reijiyam | 2025-09-03 07:00 | 蔵書 | Comments(0)
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