![]() 書いてみた。 馬王堆帛書について、三号墓出土であることはいくらなんでも知られているほうだが、それでも三号墓のそれ以外の出土品については、意外なほど閑却されているように感じている。馬王堆といえば1号墓という脊髄反射、刷り込みがひどい。人によっては帛書まで1号墓出土だと勘違いしているのではなかろうか。 その超稀少な帛書が入っていた箱の写真、帛書がどういう風に収納されていたのかわかる写真がこれである(写真著作権は消滅済み)。これ意外に知られていないのではなかろうか? これでみると、結構、何も入っていない部分が多い。片端には木竹簡がぎっしり入っているようだ。しかし 何箇所かの区画は空っぽである。ものが入っていなかったのか、消滅してしまっていたのか? いまとなっては不明である。しかし、副葬品として埋葬するのに空っぽの区画があるというのは、なんかおかしな感じがする。これは、既に帛書をいくらか取り出した状態で撮影した写真なのかもしれない。 3号墓は1号ほどは保存状態がよくなかたらしいしが、これをどう解釈していいのかはよくわからない。 ![]() また、1号墓から出土した有名なT字型の旗のような帛画は、3号墓からもでていることは、忘れられてんじゃないかと思う。確かに3号墓の帛画は変色して暗くなっているし、そうとう痛んでもいるようなので、かなり見劣りがする。しかし1号墓の保存の良い見事な帛画と並ぶ貴重資料には違いない。ここに、図版をおいておく(Source ref1) 。なお写真著作権は消滅している。 また、3号墓の西壁には騎馬行列を含む別の帛画がはりつけてあったようだ(Source ref2)。この帛画も全く知られていない。確かに破損がすざましく、ほとんどみえないのだが、それでも貴重なものには違いがない(下)。これは著作権が存在しない二次元平面の作品の複製なので、写真著作権は存在しない。 また、この三号墓からは、かなり染織品がでている。ただ、変色がめだつようで、1号墓ほどの鮮やかさはないようだ。そうはいっても錦については、こちらのほうが豊富らしい。刺繍は1号墓のほうが豊富のようだ。保存状態が劣ることもあり1号墓の染織品は、かなり早い時点で専門書がでている(REf 3)が、3号墓出土分の紹介はかなり遅れているように感じる。 また紗帽の実物という稀少な例がでている。 Source Ref1 湖南省博物館中国科学院考古研究所、長沙馬王堆2、3号漢墓発掘簡報、 文物、 1974年、七期。 文物出版社 Source Ref2 中国文物 第4集 1980 Ref3 上海市紡績科学研究院、上海絲綢工業公司、長沙馬王堆漢墓、 文物出版社、1980 ![]()
by reijiyam
| 2025-08-30 18:39
| ニュースとエッセイ
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