![]() 上イメージ 大英博物館 女史シン図巻の一部 奥村 伊久良、孝子傳石棺の刻畫に就いて(上), 寶雲、第20冊、寶雲刊行処、昭和12年(1937年)8月30日、京都 から抜き書き > 支那山水画の主要な部分は山嶽である。支那人は古より山嶽を美術作品に表現することを好んだ。エジプト、ギリシャなどなれば花や草葉を用ゐるべき筈の柱頭や衣服の模様に山の姿を応用したことは周代の文献に記されてゐる。他国には類いのない意匠である。山嶽の姿をした観賞用作品として、小さなものでは日用の小容器、大きいものでは数十丈の築山が幾多製作せられた(原注)のも紀元以前からのことである。 山嶽の彫塑像をこんなに熱心に作った美術史は他にないやうである。支那絵画史と云えば山水画が主要な部分を占めているが、支那畫発展を徹頭徹尾貫流し鼓舞した、あの異常な山水愛好は、かくの如く支那美術史の初期から已に姿を現してゐる。西洋美術史はギリシャ美術の初頭、エーゲ海時代の始めより裸體に偏執的な興味をもってゐて、古朴な技術ながら白大理石の女人裸像を数多つくり、小さな壺まで人體にかたどり、其後の西洋美術史は云はば裸行列の観がある位、今でも絵画の入門は裸體の素描から始めるべきであるとせられてゐるが、支那ではこれが山嶽に入れ替わっていて、絵画の入門はー裸體など滅相なー石を描くことから始めるべきであるとせられてゐる(芥舟學畫編)。国によって描くものと描かぬものとがある。花の意匠が支那に出現するのは3世紀より後であろうが、雷文や怪雲や龍や山嶽がー優美な裸體や花模様ではなくて岩だらけの山が好んで描かれたのは歴史の殆ど最初からのことであり、今でも愛用せれれてゐる。この厳めしい趣味は支那美術の著しい特色である。 > 原注 > 容器の蓋、或いは容器全體を山嶽の形につくることは博山爐などの一類があるが、大形のものでは高さ数十丈の築山や天山廬山等に似せた墳ー山の肖像彫刻ーがある。古代の築山については、本誌にも、曾てその研究を発表せられた小杉一雄氏の諸論文があるし、北京には元明以後の諸傑作(中にも北海の瓊華島、即ち昔の太平山)がのこってゐて、今でも古代の仮山の趣を體験することができる。それは素晴らしい大作であって、楼閣、寺観、複道、曲廊、水亭、劇場、奇岩、石像、碑カツ等を配置した色美しい別世界今はホテルや夏期の貸別荘に利用してゐる。三間幅の大道路や曲がり曲った長い奇岩のトンネルなどで頂上に達すると、眼まひがする程高くて足元を見ることができない。風は外套を吹き上げネクタイをはためかせ、まるで空中に立ってゐる様な感じがする。まことに神仙趣味である。 > ***** 奥村伊久良(おくむら・いくろう)(1901-1944) 原注の文章は戦前の北海を訪れた北京紀行文としても、生き生きとした名文だと思います。香港迷の山口文憲氏の名文「南Y島」を思い出しました。 ただ奇妙なのは、ネットで寶雲の目次全覧をみると次号掲載が無かったようにみえることです。次号以降で、(下)が掲載されていない。編集者の森暢氏も癖のある人だから対立したのかもしれないなあ。力作なのに惜しいことでした。 西洋のギリシャ・ローマ以来の人体裸体美術の伝統は、東洋からみるとかなり異様なものです。しかし、中国の岩石や山岳を鑑賞する伝統もまた、かなり変わっていると思います。この岩石鑑賞の伝統が山水画を生んだのは確かだろうと思っております。日本にも巨石信仰はあるし庭石の愛好はあるが中国のような怪石趣味はない。岩石怪石を絵画に好んで描くという習慣も中国趣味を輸入した文人畫を除けば無いようです。 下イメージは、画手本としての木版画集である「天下有山堂画藝」の1画面 なお、 奥村伊久良 みすず書房のサイトに略伝があります。 https://www.msz.co.jp/book/author/a/15412/ おくむら・いくろう ![]()
by reijiyam
| 2025-05-10 15:48
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