国宝 「智永 真草千字文」の由来

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 忘れられそうな逸話、卓見などを抜き書きして残すということも重要なことだと思う。 古い雑誌は酸化して消滅寸前になっているものもある。そういうものに、構えない逸話がこっそりと書き残されているものだ。
 古代ローマ帝国時代の文人:ゲッリウスの「アッティカの夜」の先例に従って切り抜き集をつくってみたくなった。
 このカテゴリー「抜き書き」でつくってみたい。
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国宝 「智永 真草千字文」の由来

書苑 3巻1号,真草千字文特集,三省堂,1939
の76-84P,「智永千字文 諸家の感想」の中の石田凌風氏の記述を再録。。

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  如意翁が此の二體千字文を獲られた次第を、翁と交わった木村擇堂に聴くと、かうである。
  あるとき一人の巡禮が三条小橋の釘抜屋へ泊まって病臥した。そして宿の主人に、儒者で醫者を兼ねてゐる人に診察して貰いたいと頼んだので、主人は江馬天江翁を推薦した。翁は谷如意、神山鳳陽などと共に京都の詩人として一家をなしてゐたが、家業の醫術にはあまり熱心ではなかった。しかし變った依頼であったので、ともかく往診することにした。患者は相当重態であった。「先生、私はとても本復は出来まいと思います。先生に対して何の御禮も出来ませんが、この本は私が年来大切にしてゐたものですが、之を差し上げますから、どうか之で万事御處置を願ひます。」と云って差し出したのが此の二體千文であった。
  天江翁は巡禮の治療に當たり、宿料から死後の世話迄も一切引き受けざるを得なかった。
  天江翁が書の好きな如意翁に此の千文を示した処が、如意翁一見驚喜して、「是非我輩に譲ってくれ」と云うので佩文韻府一部と交換が成立したといふことである。
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国宝 「智永 真草千字文」の由来については、この文章が一番詳しいし、具体的な宿屋の名前がでているのは、これだけである。これは京都の小川家の所蔵だったので小川本とも呼ばれる。大正の初年に小川博士の先代簡斎翁の所蔵に帰したのである(ref. 内藤湖南 正倉院の書道)。現在の所蔵者・法人?は不明である。文化庁管理という噂もあった。

 戦前には、一時さんざん悪口いわれたこともある。狄平子「趙子昴の臨書」、長谷川耕南「真跡本と称すものなど問題にならないことが明らかであろう」、長井商山「この真書は大嫌いである」、一方、羅振玉は、これを疑うのは「写真を観て本人を疑うようなものだ」と軽妙な擁護をしていた。
 現在では「王羲之の正統を継ぎ、陳隋の書風を残す名跡」として高く評価されている。
 谷如意翁が書いた跋は、どうも現在は失われているようだ。当方のところに古い写真焼き付けがあるので紹介しておく。
 釈文:
右、楷草二千字、紙用向麻墨光如/
漆。初 異僧伝之云、昔時空海入/
唐、取獲之。諸々鑑賞或以為永師真/
跡或以虞チョ臨模余則寶秘之不/
斉文皇禊帖也
  甲申之夏
    太湖翁識
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by reijiyam | 2025-04-10 18:25 | 抜き書き | Comments(0)
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