1975年ごろだろうか、長崎のある会場(ビルの中の貸し会場)で中国の掛け軸などの即売会があった。文革流出品というようなふれこみだった。わりと広い会場にはかなり汚い掛け軸が山積みされており、壁にも多数かかっていた。 なんで、そんなところに行ったのか、よく覚えていないが、実家の近くだったので口コミや看板もあったのだろう。 幸い!?「山水画は唐宋が素晴らしかったが明清は堕落した」「有名画家の作品には贋物がごまんとある」という「予備知識」をもっていたので、「沈周」や「文徴明」、「王石谷」などと麗々しくサインが入った汚い絵を全て無視して、無名画家の花卉画になんかいいのがないかと漁ったものである。意外だったのは、良いものがあるかもと思っていた墨竹画がひどいものだらけだったことである。 そのとき買った2点は、意外と良いもので、現在まで捨てずにもっている。 一つは西レイ印社の初期の社員 阮性山の1928年の若書きの細長い菊石図である。どうも菊蘭竹梅のセットだったものの1つだったのではないかと思う。この細長い形はそう考えると納得がいく。 阮性山の発見 にも書いておいた。 もう一つは「竹初」という名前だけがある花と桃の絵で、たぶん嘉慶年間ごろの銭維喬の作品だと思う。これは買ったとき既に破れがあり、ひどい状態だった。その後、色々な経緯で紛失し、また戻ってきたので、友人の宮坂氏に表具をやりなおしてもらい、ずいぶん立派になった。 大学生のとき、これだけのものが買える眼をもっていたということが当時わかってたら、職業選択を考えたほうがよかったかもしれない。当時これらの絵は「きれいな無名画家の絵」で「金にはならないが古い」ものであった。額縁屋・表装屋に「表装しなおしたい」ときいたら、表装する価値がないものだと言われた覚えがある。ある程度価値のあるものだとわかったのは21世紀になってからである。 当時、即売会で売られた「文革流出品」は、どこから来たものか、今ならある程度は想像できる。一つは鄧雲卿が「魯迅と北京風土」で記述しているような、北京の瑠璃廠の画棚でカレンダーのようにつるして売られていた膨大な贋物と無名画家の山である。もう一つは紅衛兵に燃やされずに没収された分で博物館などにいれる価値がないとされた贋物と主として清末民国の土豪劣紳・地主階級の堕落芸術で、広州交易会などでどんどん輸出されていた。
by reijiyam
| 2015-03-30 08:49
| 中国絵画入門
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