幻想の彼方へ

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澁澤龍彦氏の「幻想の彼方へ」美術出版社、は、なかなかの豪華本でカラー図版がないにもかかわらず、当時定価4,800円もした。それなのに、1976年初版、当方がもっている本(古書店で安く買った)が1978年3版になっている。結構好評だったようである。
 その後、収録された文は再編集されて、著作集などに入ったのかもしれないが、後に出た、文庫本などには割愛され入っていない作品もあるようで、むしろそちらのほうに、先入観やイデオロギーから自由になった澁澤の慧眼がうかがわれる。後の編集者あるいは著者自身が、アンドレ・ブルトンを正宗としたシュルレアリズムのイデオロギーに囚われて、その線に沿わない文章を評価しなかったのではないか?という疑いを私はもっている。
特に、その後、無視されてきたのが、ロメーン・ブルークスの卓抜な紹介であった。

ロメーン・ブルックス、アンドロギュヌスに憑かれた世紀末、
初出:「批評」、昭和44年12月号

そして、
遠近法・静物画・鏡、トロンプ・ルイユについて、
初出「みずゑ」昭和47年4月号  
は、たぶん山尾悠子の小説に強烈な影響を与えていると思うし、当方は、これで初めて、セバスチャン・ストコップの不思議な静物画を知り、静物画の魅力に開眼したものだ。

第3にあげるのが、
「キリコ、反近代主義の亡霊」
初出:「三彩」、昭和48年12月号、三彩社、東京
である。
 ここでは、かなり苦闘し、評価に苦しみ、なにかあると思いながらも、結論には至っていない著者がいるように思う。これは1970年台という時代的制約イデオロギー的制約であるが、現在読み返しても考えさせるところが多い。

澁澤龍彦「キリコ、反近代主義の亡霊」
初出:「三彩」、昭和48年12月号、三彩社、東京
そこで、この部分だけを引用してみたい。

「 私は前にに、キリコだから見ていられるのであって、キリコでなければとても見るに堪えない、と書いたけれども、これは決して言葉だけのことではなく、実感なのである。見れば見るほど、実質はとうに空洞化し、ただおのれの倨傲のみでふくれあがった、芸術家というものの栄光と悲惨が、こちらの身にも惻々と迫ってくるような気がするのである。言葉を弄する芸術家であるところの文学者には、こういう例が往々にしてないとは言えないが、メティエがそのまま思想であるところの画家には、このキリコの場合におけるような例は極めて珍しい。あえて言うならば、このキリコの頽落ぶり、衰弱ぶりは、なにか私たちを甘美な思いに誘い込むほどのものなのだ。芸術家の内面の空虚が、これほど見事に、これほど堂々と、さらけ出された例がこれまでにあったであろうか。さよう、まさに「堂々と」という言葉にふさわしい、それは王者の頽落ぶりなのである。
 晩年のピカソの展覧会は、私を少しも感動させることがなかったが、このキリコの八十五歳の展覧会には、私は文句なく感動したのである。


 そして、当方の考えも他でも書いたことだが、バルテュスの絵は「成功したキリコ」なのではないか?という疑っている。
 ジョルジョ デ キリコ(1888-1978)は、1910年代の形而上絵画で20世紀絵画を大きく革新したが、その後、シュルレアリストたちとも喧嘩し、様々な試みを行っている。ティティアーノに学んだ絵画を制作したり、キースヘリングの先駆のようなドローイングを制作したりして、恐ろしい程 幅のある制作をしていたが、金銭的経済的にはともかく、初期の作品のような記念碑的な傑作は生んでいない。このキリコの壮絶な挑戦・試作の繰り返しにみえる作品の山は、一見、不毛にみえるし、現代絵画の流れからすると、まことに不可解な孤島である。ドローイングは後にヘリングなどにつながっているようにみえるところだけが救いである。
 このキリコの、ティティアーノのような古典的絵画研究を現代に生かしたいという試みで成功したのがバルテュスではないか?と最近考えている。つまり、形而上絵画の新しい形ではなかろうか? バルテュスはキリコの一世代後の1908年生まれだから、時代的にもあうように思う。




# by reijiyam | 2022-04-10 08:15 | 蔵書 | Comments(0)

Max Loehr旧蔵 Autumn Colors

趙子昴の逝去後700年なんだそうです。
王連起氏の講演を視聴した機会に、趙子昴の絵画の美術史的位置づけについて、また考えました。王連起氏の講演を聴く限りでは、事実の発見、新説という点では半世紀ほど前のジェームズ・ケーヒル先生の見解と、そう変わらない印象を受けます。ジェームズ・ケーヒル先生の「江山四季」(ジェームズ=ケーヒル, 江山四季, 明治書院,1980)の趙子昴絵画 解説で、当方は、なんとなく納得したものです。特に[鵲華秋色図]について「奇妙に人を惹きつけ、究極的に美しい」という批評はとてもあたっていると思う。
 鵲華秋色図巻(台北 國立故宮博物院のサイト)
https://theme.npm.edu.tw/khan/Article.aspx?sNo=03009158
  この鵲華秋色図巻をモノグラフとして研究・刊行した本には、米国の中国系学者だとおもう李鋳晋 Li Chu-Tsing(1920-2014) が1965年に出版した 

The AUTUMN COLORS on the Chio and Hua Mountains,Atribus Asiae, Supplements XXI, Switzerland

というハードカバー本があります。実はこれを読んでも どうもわかりにくかった。やはり、ケーヒル先生の本のほうがよかった。
 ただ、貧架には偶然、Max Loehr 博士旧蔵の本があり、この本にはなんとMax Loehr 博士自身の書き込みが多く、更に、Max Loehr 博士のこの本への書評の抜き刷り(Harvard Journal of Asiatic Studiesのプレプリント)、やはり中国美術研究者のリチャード・エドワーズ氏の書評(しかもリチャード・エドワーズ氏からMax Loehr 博士へ贈られた切り抜き)が付属しています。リチャード・エドワーズ氏2016年に99歳で逝去されています。
https://lsa.umich.edu/histart/news-events/all-news/search-news/richard-edwards--pacifist-and-historian-of-east-asian-art--dies-.html
  これは、1965年ごろの研究者たちの交流を示す、ある意味ゴシップ的な資料なので、書架に保存しているというわけです。今、ちょっと画像で紹介してみます。
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# by reijiyam | 2022-04-04 06:10 | 蔵書 | Comments(0)

北宋婦人家事画像

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前あげたもののつれで、やはり中華民国時代の天津の収集家 方若 が制作した拓本を紹介してみます。ものの本に引用されるときもref1 ref2の粗悪な図版から転載されるので細部がさっぱりわからないというのが現状です。原件のレンガ4枚を方若がもっていたわけですが、今は北京の国家博物館(旧  中国歴史博物館)にあります。
 この机、上が火鉢というか木炭?をがんがんいれてポットを暖めるようになっている調理用具です。となると、前の机は木製で布の装飾もありそうですが、こちらは、土製の囲炉裏のようなものじゃないか、と思います。燃えてしまうからね。もっとも木製の机の上に金属枠や土の枠いれて燃えないようにした炉という可能性もありますね。他の絵
徽宗皇帝 文會図
https://reijibook.exblog.jp/15345633/
でもあるんですが、こういう白磁や青磁らしい酒瓶を直接火に突っ込んで暖めるというのが、当時の習慣だったようです。

ref1 二千三百年前の古代中山国の謎ー中国の文物と考古選集ー、外文出版社、北京、1983
ref2 石志廉、北宋婦女画像セン、文物、1979年第3期87-89p、文物出版社、北京

# by reijiyam | 2022-02-27 05:07 | コレクション | Comments(0)

天目茶碗天目台がある北宋画像

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 北宋時代とされるこの仕女画像セン の拓本は  民国時代の天津の収集家 方若 が制作したものだ。原件のレンガ4枚を方若がもっていた。今は北京の国家博物館(旧  中国歴史博物館)にある。

その中の1枚の拓本であるこれには、なかなか興味深い点がある。天目茶碗・天目台を使った茶をどのようにやっていたか、その1シーンが描写されているからだ。

まず、普通の主婦らしい女性がやっているところから、天目は禅宗寺院とは関係がなかったということがわかる。
次に、立って机の前でやっていることから座ってやる日本の茶室の礼とは全く違う。
そして、元明時代まで使われた様式の陶磁器らしい大きな胴の張った蓋付きの容器が机上にある。これは、元時代の難破船である新安海底引き上げ文物のなかにも複数みえる器物である。おそらく茶壺ではないか?。
ただ、もともと骨董品として売買され天津の方若のコレクションにあった物な上、あまり他に類例が知られていないようにみえたので、「北宋」という時代推定と、「河南偃師出土」ということに、どういう根拠があるのか疑問に思っていた。もともと王国維は「観堂集林・別集・古画セン跋」で「六朝時代の画像セン」とみなしていたそうだ(ref2)。

この画像センは、一応紹介されたことはあるが詳しい解説がされたかどうかは知らない。
外文出版社が、雑誌「文物」のコラムなどから日本語に抄訳した記事を集めた1983年の一般向けの本(ref1)
に、短い文章があった。実は、これは1979年の文物でのコラムを更に短くしたものである。ただし、これら(ref1,ref2)に採用されている図版は粗雑でテーブルの上の器物の細部はわからない。

このもともとの文物のコラム(ref2)を読んで、ようやく根拠がわかった。1955年4月の考古学的発掘で
「河南省偃師の宋墓で同じもの(4点のうちの1点 魚をさばく女性と同じもの)が出土した」という事実があったと書いてあった。[北宋]というのは、南宋時代には河南省は金領土の上、国境地帯になり、首都べん京も河南ではあったが荒廃したからだと思う。  


ref1 二千三百年前の古代中山国の謎ー中国の文物と考古選集ー、外文出版社、北京、1983
ref2 石志廉、北宋婦女画像セン、文物、1979年第3期87-89p、文物出版社、北京



# by reijiyam | 2022-02-26 08:54 | コレクション | Comments(0)

泉靖一先生の夢

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2021年12月26日、古代アメリカ学会のシンポジウムを視聴し、ゲストの芝崎さんから、泉靖一先生の名前が出た。
泉靖一先生の著書では芝崎さんが言及した「インカ帝国」(岩波新書)が有名らしいが、当方のとこにあるのは、それよりずっと古いプレインカの発掘のことを書いた「インカの祖先たち」(文藝春秋新社;1959)である。

しかし、先生の文章で、最も幻視的で、詩人的なものは、「サン・アグスティンの遺跡」(藝術新潮 1968年10月号、100p-107p)であろう。
 著作権が昨年切れているので、写真・文章をオリジナルの雑誌から転載再録しても問題なくなった。
 上のイメージは、乗馬でサン・アグスティンを調査する泉靖一先生である。

  この驚くべき散文詩あるいは劇詩が埋もれないように、中核部分を下記に転記したい。ルビは〈〉に変更した。漢字かな表記、句読点は忠実である。見出しは編集者かもしれないので省略した。
 レヴィ・ストロースの「アウグストスの神格化」(Tristes tropiques (Paris, Plon(Terre humaine), 1955に収録) を連想した。

サン・アグスティンの遺跡については、
https://en.wikipedia.org/wiki/San_Agust%C3%ADn_Archaeological_Park
https://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Parque_Arqueol%C3%B3gico_de_San_Agust%C3%ADn
遺跡公園:動画
https://youtu.be/UVfU1DiMuVk
https://youtu.be/JKNxnY6eY1Y




*****************記 ***********
その夜から、気味の悪い夢に煩わされ続けた。月の照っているコロニア風の古い町の街路で、色鮮やかな衣服を着た巫女〈シャーマン〉が踊っている。やがて、踊りが最高潮に達して、女がばったり倒れると、暗い家々の窓がいっせいにあいて、人の顔があらわれて嗤いだす。よくみると、それはふつうの人の顔ではなく、気味の悪い石像の顔だ。牙のある口もと、まんまるい眼、あるいは半月形のひとみ、ときには人の首をたずさえ、怪獣を負い、げらがら笑っている。石だたみの街路で踊っていた巫女と、この町の住人とはどんな関係にあるのだろう。やがて巫女はおきあがり、大声で叫ぶ。
(巫女)お前たちはいま生きかえったのだ。八百年ものあいだなにをしていたのだ。
(石像たち)眠っていたのだ。やっぱり月の照っていた夜、私たちは眠ってしまった。そしていまめをさました。八百年もたったのか。(巫女)ぐずぐずいってもしかたがない。みんな、街にでておいで。
(石像たち)どうするのだ。
(巫女)さあおいで、みせてやりたいものがある。お前たちがねむっていた八百年のあいだに世界は変わった。ついこのあいだ海のむこうから渡ってきた白人〈グリンゴ〉は、おまえたちの子孫を殺し、黄金をうばい、俗悪な神をもちこみ、世界をうばってしまった。
(石像たち)はははは、はは。
(巫女)なにがおかしい。
(石像たち)そんな馬鹿なことがあるものか。いやもしあっても、おれたちが蟻よりたやすくつぶしてやる。
 やがて月はかげり、巫女も石像もそして町も消えてしまう。めがさめて私は考える。石像たちはたしかに、その日町の周囲の山野でみたものだが、巫女がだれなのかどうしても思いあたらない。どこか国立博物館の秘書のドナ・ミリーナににているが・・・・。
 おなじ夢を四日間も続けてみた。ところが、この地方を去って、コロンビアの首都ボゴタに帰ると、みようと思っても、石像の夢はみられなくなった。
**********
*******記  終わり ***********


泉靖一 - Wikipedia
泉 靖一(いずみ せいいち、 1915年6月3日 - 1970年11月15日)は、日本の文化人類学者。東京大学東洋文化研究所教授。専門は文化人類学。正四位勲三等旭日中綬章。
泉靖一 :: 東文研アーカイブデータベース
https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9486.html

# by reijiyam | 2021-12-30 13:05 | 蔵書 | Comments(0)