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正倉院雑談 その1

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  正倉院の生き字引といった感じだった松島順正氏からの聞き書きを松本楢重氏がまとめて、松島氏に校正してもらって出版した本がある。この正倉院雑談、昭和23年、奈良観光事業株式会社出版部である。
  このなかで、昔、御物の修理に携わっていた人の話がでていた。こういう人のことは、忘れられやすいので、あえて記録しておきたい
**2012-03-03の追加

この正倉院雑談 初版は、昭和23年、奈良観光事業株式会社出版部 なんだが、1989年に学生社で「正倉院よもやま話」という名前で複刻したことがあるらしい。まあ、もう少し良い紙と印刷だろうと思う。

正倉院よもやま話
単行本: 243ページ
出版社: 學生社 (1989/05)
ISBN-10: 4311201389
ISBN-13: 978-4311201387

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奈良帝室博物館では明治43年から聖語蔵経巻の整理修復に手をつけたが、大正3年になって、東京でやっていた整理修復も一切奈良側で引継ぐことになり、現在の奈良國立博物館事務所構内本館南側の1棟がその事務と作業のため新築されたのである。


聖語蔵経巻修復は、奈良多門町の士族から経師屋になった西山定郎という人が年俸二四〇円と修理材料費年百円の予算で実際の作業を受け持ち、昭和13年まで続けて来たが、防空演習に出て風邪をひいたのがもとで死んでいったのは気の毒だった。
古裂の整理は経巻修理の西山さんも手伝って、粕谷某と最近まで従事していた廣岡徳松氏が女の助手一人を混へて仕事をはじめた。今日までに足かけ三十何年かかって。唐櫃十八合分の整理を終わったが、なほ未整理の分に唐櫃三十合ほどと、箱入りの分八つを残す。


(古裂の整理)
 大正三年奈良帝室博物館がこの大事業を開始して以来、足かけ三十五年終始古裂と取り組んでいたのは廣岡徳松さん一人、続いて勤続二十年目の藤田うの さん、他に大正九年から昭和二十年まで二十六年間を勤続して老境に入り、お暇をいただいていった坂本ちくさんのごときは、そのかくれた功績を正倉院古裂の名とともに記録すべきだと信じる。
by reijiyam | 2011-10-02 14:56 | 蔵書

正倉院の雑伎団

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古代中国の雑伎については、画像石などの図像資料もあるが、正倉院の弓に黒漆で描いたものも有名である。漆絵脱弓 (中倉169)。弓の表に鼓楽技曲の図を描いてある。
もとの写真図版があまりよくないのだが、著作権がきれた 明治時代の宮内庁, 東瀛珠光, 審美書院, 東京, 明治41年 からとらざるをえないので、了解されたい。

こういう曲芸は、散楽と呼ばれて平安時代まではよく演じられていたらしい。

信西入道古楽図というのも、模写本で伝わっている。信西という伝承が正しければこれは12世紀の散楽を伝えるものであろう。

東京芸大のサイトに
東洋画模本 - 2118 [19759]
信西古楽図
(模本制作)藤原貞幹 (-)
というのがある。

http://db.am.geidai.ac.jp/object.cgi?id=19759
by reijiyam | 2011-08-15 07:32 | ニュースとエッセイ

正倉院鏡の左横書き

  正倉院に、彫刻した銀板を背面に貼った大きな鏡がある。南倉70の1である。今は、金銀山水八卦背八角鏡と呼ばれている(正倉院の金工、週刊朝日百科世界の美術)が、もともと古代の名前札がついていたわけではないし、八世紀の文書にも入っていないわけで、まあ適当に明治以後名前をつけたのだろう。当然、いつどこで制作され、いつ正倉院に入ったのかもわからない。

 こういう銀板を貼った鏡は、中国からも出土していて、白鶴美術館、天理参考館などにみごとな例がある。ただ、多くが高浮き彫りのように模様を打ち出しているものが多く、この正倉院の鏡のように線刻だけというのは珍しいと、金工の専門家もいっているようだ。また、大きさとしても最大級である。

 これの写真をみていて、違和感をもって気づいたのは
「銘文が左横書き」
であることだ。鏡の銘文で「左横書き」というのは他にみたことがない。

  一体これはどういうことだろう。

  線刻だけという技術的な異風も併せて考えると、中国産ではないのではなかろうか?
  しかし、模様のパターンなどは明らかに中国の道教仙境風の作である。また、銘文自体はたいして上手とはいえなくても一応詩になっている。文字の書風についていうと、こういう金工の小さな文字は北魏時代から書風的には似たようなものになりやすいので、時代を判断し難い。

  中国産でなくても、カンボジアやペルシャで制作されたものではないだろう。少なくとも漢字文化圏での制作だ、とすると、日本での制作、あるいは渤海か?と考えたくなる。大きさが大きいというのも、古墳時代の日本で中国では実用性がないからまずつくらない巨大な鏡を制作したことも考えると日本製という線も強いと思う。

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by reijiyam | 2010-07-18 10:35 | ニュースとエッセイ