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玲児の中国絵画入門 2 尖った山水画と宋元画



学生時代に、老荘思想などへの関心から派生して、中国絵画に関心をもってみたが、
まともな中国絵画の図録や本が全くない。ただ、世界美術全集などの一部に中国絵画の解説があった。

そのなかで小さな図版でみた

伝 馬遠 風雨山水図  (111x56cm 東京 静嘉堂文庫 国宝), はわりと気に入った絵画だった。


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 遠景に、尖った峯が林立しているのが、先回に言及した仙境的な趣があることや、近景も含めた大きな空間性を作っていることで、気にいったんだと思う。

 この絵は東京在住の折、静嘉堂文庫美術館などで何度かみたことがあるが、どうもそれほどは感動しなかった。粗悪な図版の方が影響力があったというのが、まことに不思議である。

  これは、国宝であり、日本に古くから伝世したものだろう。日本でいう「宋元画」「水墨画」の典型の一つである。

 どうも、日本の中国絵画の研究者には、水墨画・南宋絵画などに偏重する人が多い。これは、もともと室町時代以来の日本の中国絵画の賞翫・鑑賞が雪舟・狩野派などを経た南宋元の禅宗系水墨画から入ったことが多く、その系統のものが異常なくらい高い評価をもっている。これは東山御物以来茶道で尊重されたことと関係があると思う。 そのために中国本土では絶滅した宋末から元時代の禅宗系絵画が多数、日本で保存されたという功績もあるが、その反面、日本の中国絵画研究者の評価基準や眼のつけかたにかなりの偏りをもたらした弊害もある。
なにしろ、1950年代ごろなど戦後早く、台中(当時 國立故宮博物院はここにあった)にいった日本の学者は、日本でみなれた「宋元画」の基準でみるので、まともな観賞ができていないように思う。ジェームズ ケーヒル氏のほうがよほどまともに観ていた。また、戦前も阿部コレクション(現  大阪市立)を東京国立博物館のスタッフは全く評価しなかったという信じられないような逸話がある。

by reijiyam | 2015-03-28 07:04 | 中国絵画入門 | Comments(1)

玲児の中国絵画入門 1 中国絵画のイメージ

 1970年ころの日本人学生がもつ中国絵画のイメージというのは実に貧弱なもので、「中国絵画の代表作」をあげようとしても頭に絵のイメージも画家名もでてこないという有様である。一方で、レオナルドダビンチのモナリザとかクールベの「波」とか、ヌードがきれいなのでボッシュとかジョルジョーネとかは知っていた。また後期印象派のデュフィの筆致やシュルレアリスム系のキリコやエルンストの不思議な絵も好きだった。日本の画家なら逸話があった雪舟とか青木繁とかは、知っていた。しかしながら、中国絵画については画家の名も作品名も何一つ知らなかったのである。

 一方、妙なことに中国絵画」「山水画」の漠然としたイメージはあって、それは絵本やマンガなどの無名のイラスト・図像などから、頭の中で形成されてきたものだろう。それは、尖った不自然な山岳が林立し、雲気がたなびく仙境のようなものであった。

  そういう絵を現在まで残っている歴代中国絵画からさがすと意外に少ない。
明時代中期の仇英(ACE1494?-1552)の仙山楼閣図(台北故宮)がわりとイメージに近いと思う。

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少し拡大してみると、右はしの断崖に沿った道、山間にある楼閣、細長く林立する峯の間に雲がまつわっているところなど、昔いだいた「中国の絵」のイメージそのものである。


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 こういう仙境画は下の(遼寧省博物館)の小品もある。これは両宋名画册という小品のアンソロジーに入っているが、南宋時代というよりもっと新しいものではなかろうか? こういう仙境画は、由緒のある立派な絵は少ないが、雑な絵や道観や寺院の壁画や版画、挿絵、陶磁器の絵などとして、民間に相当多いのではなかろうかと思う。


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また、ケーヒル先生が北宋末南宋初めの李唐にアトリビュートした奇峯萬木図(台北故宮)もわりとそういう感じだと思う。


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 また、中国土産品店でよく売っていた「コルク画」の細工物のイメージも、大きいと思う。これらはどうももともとはお葬式のときに燃やして、あの世で、こういう豪華な庭園に棲んでくいださいと願うものらしいが、当時はそういうことは知らなかった。台湾映画「非情城市」のお葬式の場面で燃やすところをみて、あっと思ったものである。ただ、このコルク画自体は1920年代に始まったものだそうで、意外に新しいものである。ただ、その祖型のようなものは中国にあったと思う。




山水画以外の絵画ジャンルに眼がいかなかったのは、「山水画」が眼をひくものであったためだが、粗悪で小さな図版では、花鳥画は日本の絵と変わらないようにみえるし、美人画はちっとも美人にみえない顔だし、いかめしい役人王様のしかもあまりリアルでない人物画なんか面白くもなんともないからである。

by reijiyam | 2015-03-27 08:13 | 中国絵画入門 | Comments(0)

司馬秀谷  赤壁賦図

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もともと香港のコレクターから出た小品書画の一つ

右端に特徴的な帽子を被った人物が川を隔てて崖をみているから、

これは「蘇軾 赤壁賦 図」の定番の図像なので、一応そういう風に題名をつけてみた。

題字は、[配法在荊岡巨公間竹一三兄以為得毫末否 秀谷 鐘]


司馬鐘 字 秀谷 という人で水利関係の役人をやったことがあるらしいが、画で食っていた人らしい。

橋本コレクションに、墨竹が1点ある。

台北の國立故宮博物院に道光24年の扇面(1844)
があるから、そのころの人だろう。
  http://catalog.digitalarchives.tw/item/00/60/73/9f.html
by reijiyam | 2015-03-08 11:28 | コレクション | Comments(0)

クリーブランド美術館  雲山図巻の自題


 敦煌本の偽写本のことを読んでいたとき、「偽写本をもとに論文を書くと、全部が無駄になって崩れ落ちてしまう」というような記述があった。絵画においても偽物を真蹟として論をすすめると危険きわまりない。勿論、偽物は本物に似せないといけないことが多いので画風など類似しているという期待はあるし、題跋印章までみんな丸写ししてしまうすざまじい偽物も中華民国期にはあって、まあこういうのは、本物が消滅してしまったあとでは、ある種の資料にはなるわけである。

 いまや原発報道で悪名を馳せ、信用失墜した感のある東大の、小川教授などがとりあげていた 米友仁「雲山図巻」(クリーブランド美術館)http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/9f/Cloudy_Mountains1.jpg
にも重要な疑義がある。

 肝腎の米友仁の題字が真蹟ではないようにみえるのだ。他の米友仁書と比較した表を1998年に作って確信した。字形書風がかなり違う。また、北京・大阪・上海の共通性がめだつ。北京の図巻は実見したとき、本体の絵は模写のようだが、跋はひどく傷んで紙質も違い真蹟にみえた。上海の図巻は絵・跋ともに良いようだ。大阪のは断片の切り貼りみたいだが一応古い。
 その後、某教授にも表を送って意見を乞うたが、賛意を得ていた。じゃいったいクリーブランドの題は誰が書いたんだ。また絵は誰が描いたんだろう?

  ひさしぶりにノートをひっくりかえしてとりだしてみた。今ならもっときれいな図版で作成できるだろうが、忘れてしまうといけないのでアップしておこう。

 この絵では自題の位置が他の米友仁画と比べておかしい。他のは大抵絵のあとにあって絵の上にはない。大阪市立美術館のものは明らかに切り貼りしたものだ。もとは絵の後ろにあったのだろうし、絵自体断片のようにみえる。

クリーブランドの雲山図巻は自題が失われたので、オリジナルの文から写して書いたのか? 絵も含めて後世のものなのか?どうもわかりにくい。どちらにせよ米友仁の基準作にはすることはできないだろう。

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by reijiyam | 2011-10-23 12:31 | ニュースとエッセイ | Comments(0)

徽宗皇帝 文會図

 明末清初の古美術商 呉其貞の書画記は、昔と違って、比較的入手しやすくなった。新世紀万有文庫にはいったからである。この本には、ときどき現存する名画名跡とおもわれるものが記録されているので面白い。あまり古い本の場合は一点も現存するものがなかったりする。そうなるとまったく面白みがないが、この本は違う。
 第二巻に周文矩 文會図 大絹画 1幅 というのがある。どうもこれは現在台北故宮博物院所蔵の 伝 徽宗皇帝 文會図 のことらしい。

 つまり、これはもともと古画・もしくはその模写であって、そのうえに徽宗皇帝と蔡京の題があるのである。ただ、これら全部が更に模写である可能性もある。

 この絵は手前で北宋風の陶磁器の水注を火鉢に直に突っ込んで暖めていたりする光景があったりして、なかなか風俗的にも面白いのだが、一見するとオリジナルな絵にはみえない。もともと模写というスタンスでみれば、なんとなく納得がいくものではある。

 もうひとついうと、写真でみる横縞がなになのか?痛みにしては剥落に対応していないし、ひょっとしたら、絹自体の織り方が違うので綾のようなものなのかもしれない。




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by reijiyam | 2011-08-29 08:37 | ニュースとエッセイ | Comments(2)

富春山居図について

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2011年7月2.3日に富春山居図 特別展を台北故宮博物院でできるだけ詳細にみた結果、
次のようなことを考えた。

1.焼失・切断された部分の長さは短い
・沈周臨本の第1紙にあたる部分はあまり長くない。現在の剰山図の二倍程度である。沈周臨本の巻頭の沈周印からすると、巻頭は切れていない。
・子明本も同様である。
・長い(5尺)と記述する記録は全て、清代の殉装焼却事件以後の記録である。
・鄒之麟の臨本は 最初に長い平沙の部分があるが、他の部分もかなり違う。沈周が最後に一景付け加えたように、明人の臨本には追加補足する習慣があるのではないだろうか?


2.第一紙はもともと取り替えられていたか?
  現在の剰山図は下手すぎる。シュンにしても樹法にしても無用師巻とは大きく遜色がある。紙質は少し汚れているぐらいで似ているが、呉氏の手に入る前にとりかえられているのでは?

  董其昌が呉氏に抵当として渡したときに、既にとりかえられていたのでは? 少なくともこの時点では現在の剰山図と無用師巻がつながっていたはずだ。

「1650年以降に切断されたものの再会」には違いないが、黄公望のオリジナルの再会とはいえないのではなかろうか?

3.沈周臨本の性格
  ・淡彩本、少し丈が高い
  ・雲気雲霧の表現はオリジナルより優れているところがある。
  ・最後に一景追加+ 無用師巻ではかなりぞんざいにあっさり描いている終景をかなり丁寧にかきなおしている。
  ・補完部分にはいわゆる沈周風がよく出ている。

4.子明巻の性格
  ・董其昌プロトコルにのっとっている。董其昌が観た富春山居図という感じすらする。もりもりとした山や唐突な丘の突出が肉食的で、あっさりしてない。
・巻末の切断が唐突。おそらく真の画家のサインや題詞などがあったので、切断してしまったのだろう。
・乾隆帝が愛好したのは董其昌絵画愛好を通して富春山居図を想像していたからだろう。
by reijiyam | 2011-07-17 12:59 | ニュースとエッセイ | Comments(0)