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よくみる図版だが

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  漢文関係の本、論語とか十八史略とか孫子などの本の表紙や図版に、昔は、しばしばこの画像石?の拓本がのったものだ。ところが、この拓本、原石がどこにあるのかわかならいし、まともな拓本自体少ないようだ。どうやら 古い時代の「漢画」などの石印図録になっていたので、結構流布したが、孫引きをくりかしているうちに、もとは何なのかわからなくなっているということらしい。拓本で測るとサイズは高さ16cm長さ35cmぐらいである。たぶんサイズすらしられていないと思う。
  清時代末期に、北京の骨董屋 尊古斎にあったものだ。
 どうも画像石でなく画像セン(レンガ)であるという伝承があるようだ。ただ、こういう画像センってあまりみたことがないな。

 
by reijiyam | 2011-09-23 11:19 | 蔵書 | Comments(0)

間違えてる器形拓

 中国清代後期に 僧侶:六舟達受が開発したという、器形拓という拓本のとりかたがある。
一種の絵画なんだが、古器物の各部分を拓本にとって、それを組み合わせてその古器物の絵のようにしたてる。全部を真っ正直に拓本にとるのは無理であるから、あちこちごまかしてなんとか形をつけるわけである。なかには、器物がないのに拓本だけそれらしく作って売るという荒技もある。これも偽物と思えばともかく、独自性のある芸術と読み替えることもできよう。伊藤若冲は拓本で絵画をつくる拓画などを提唱したこともあるようだ。
 私のHPの頭に使っている器形拓は、元オリンピック委員会IOC会長ブランデージ氏のコレクションにあった青銅器の爵である。

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ところが、現物の写真と比較してみると、



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微妙に組み合わせが間違っている。
画像ソフトで訂正すると、

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器形拓は組み合わせによって作っている証拠でもある。
by reijiyam | 2011-09-03 15:18 | ニュースとエッセイ | Comments(0)

徽宗皇帝 文會図  質問への回答

 書画記には、董其昌の箱書きがあった記録があり、董其昌は、陸大宰→ 胡宮保→ 項篤寿→ 厳嵩→ 政府没収→ 朱大尉→ 項子京 という伝世を記録してます。
 
e0071614_1634694.jpg 張丑『清河書画舫』燕字号 (巻六下 は特定の刊本の分け方です、古い版本には巻号はありません)には、
   「厳嵩が失脚して財産没収されたもののなかにあった。」としてありますから台北本と同じものでしょうし 文嘉が厳氏書画記にのせた「文會図」とも同じでしょう。

 その後、索額図->アーアルシープ->耿昭忠->耿嘉さ となっています。この伝世経路については
 Marshall Wu, A-er-shi-Pu and his painting Collection,
 Li Chu-Tsing ed. Artist and Patrons University of Washinntong Press. 1989 p61-74に所収

 ある時点で周文矩作品から徽宗皇帝作品ということになったのではないかと思います。徽宗皇帝画院で、古画から抜粋して模写した作品は、ボストン美術館の搗練図巻のものや遼寧の虢国夫人遊春図巻がありますから。そういう性格のモノだった可能性が大きいですね。はるか昔には「天水模周文矩文會図」というような題箋があったのかもしれません。
当方が納得したのは徽宗皇帝時代から既にかなり模本的性格があったのではないか、ということで、現在の画面の印象がなんとなく理解できたからです。

 ただ、古原宏伸さんのある論文(典拠は記憶がとんでいます)に 手巻型の文會図をあげて、もとは巻子本でそれをあの形にしたのかも、という推測もありました。

 耿昭忠は軍人職なのに、ヘンという感じもありますが、清末太平天国の乱で死んだ画家 湯雨生も将軍でしたからねえ。あまりこだわらなくてもいいのかもしれません。
by reijiyam | 2011-09-01 21:07 | ニュースとエッセイ | Comments(0)