<   2009年 07月 ( 5 )   > この月の画像一覧

ロシア所蔵西域写本展覧会を観て

ロシア所蔵西域写本の展覧会が京都国立博物館で開催され,2009年7月18日に鑑賞したが、以下の点ともう一つ(これはHPで発表予定)が、書道史的に面白い研究材料になりそうだと感じた。ただ、論文に膨らませるほどの甲斐性がないので、ここに提示して博雅の士の高見を待ちたい。

・五世紀の法華経と書道博物館「老女人経」の書風の類似
展覧会図録 61番の敦煌由来の法華経(左)
は淡褐色の紙で、特に墨だまりはなく、筆画のなかに均一に墨がひろがっている。墨ののりがよいのだろう。書風は台東区立書道博物館所蔵の「老女人経」(集成 第001番)(右)に類似する、特に「是」の酷似は気になる。本文末尾の12行と偈頌と末尾題記から構成されている前半が欠けた巻子だ。本文十二行のほうがやや字が大きいせいか字が良いようにみえる。文字の大小によって同じ人が書いても巧拙がでてくることがあるのは自分の経験でもあるので、そのためだろうか。図録には本文部分の写真がないのが残念であるが、偈頌部分のイメージで推察して欲しい。
e0071614_9281584.jpg
e0071614_9284533.jpg





・4、5世紀とされる正法華経の白い紙と書道博物館「法華経方便品」
展覧会図録62番に、4~5世紀とされる敦煌由来の法華経の初期翻訳写本(左)がある。この紙は妙に青白く、灰色の墨罫線がある。 
 よくみると、点画に墨溜まりが多い。そして墨だまりの外が淡墨になっている。
 にじみのない紙なのだろう。なんらかのコーティングによって白さと滲み止めをやっているのではないかと思う。
 台東区立書道博物館所蔵 伝トルファン出土本法華経方便品断片1紙も、やはり妙に白い紙であり近いかもしれない。これは 台東区立書道博物館所蔵 中村不折旧蔵禹域墨書集成(以下 集成)の152番 王樹ナン旧蔵の「北涼写経残巻一」巻の巻頭に貼ってある1紙である。書風は違うし罫線もないが紙質は類似しているように思った。

e0071614_925578.jpg

e0071614_9271081.jpg




・行書目録と装飾体題記と写本年代
  展覧会図録 53番のトルファン由来の増一阿含経第十五表紙は、行書があまり普通なので、五世紀よりもう少し時代が降るのではないかと思った。「増一阿含経第十五」は隷書の波ケツを強調した書体だが、これは一種の装飾体であり、このような題記は北魏時代後半6世紀初めにもあるのでそう古いものとは思えない。
e0071614_929998.jpg


・展覧会図録 63番隋経で巻軸にまきこまれる部分に後記が書いてあった。こういうのは普通にあるのだろうか?。図録にはその部分の写真なし。

・展覧会図録 84番 唐の格式律令事類 断片 をみると、甘い感じの書法で、いかにも俗流蘭亭風、院体とはこういうものであったかと感じさせるものがある。
e0071614_9292651.jpg

by reijiyam | 2009-07-26 09:38 | ニュースとエッセイ | Comments(0)

ルーブル展 京都市立美術館  感想

 ラトゥール「聖ヨゼフと幼児キリスト」は意外とよかった。とくにキリストの右膝とサンダル、ヨゼフがもつドリルの木の握り手、床に転がる木屑がよい。
 一方、他のラトゥール作品にもみられることだが、奇妙な手の形、肉体の解剖学的構造の無視、中心部分のみ精密に描いて周囲を手抜きする傾向はみうけられる。できのレベルからいうと、「聖ヨゼフの前に現れる天使」より落ちるが充分真跡といってよいのではなかろうか。
 キリストの顎が二重顎のようにみえるのは気のせいだろうか? 蝋燭を支える右手がどうみても左手より大きく、しかもその指の形がかなりおかしく蝋燭をささえる通常の手指の曲げ方ではない、これはレンヌの聖誕でミイラ巻にされた赤子キリストをささえる聖母マリアの妙な指の形にもみえることである。聖ヨゼフの体は、まるで胴体が著しく短いようにみえ、足が胸に直接ついているような感じすらする。これはこの空間を構成するために通常の解剖学的構図を犠牲にしているようにみえる。
 色は全体にオレンジがかっていているがニスの劣化のせいとは思えず、もともとの色ではないかと思う。額縁は安っぽいもので新しい19-20世紀のものだと思った。
 フェルメールの「レースを編む女」は、まあ普通のもので、私としてはもとBEITコレクションのほうが印象が良かった。ただ、保存状態がかなりよいと思った。背景が塗り直されてはいず、原初のものを残しているようにみえるからである。
 ルナンの農民の家族は、ちょっと切り縮められているのではないかと思った、いまでも充分大きな絵だがどうもきゅうくつだ。ロンドンナショナルギャラリーのルナン作のほうがよいと思った。
 思わぬ佳作としては、ヨールダンスの四福音記者がある。肖像群としては上々のもので、肉体が弱いヨールダンスの作品としては例外的によいし、左下の本の描写も見事である。ただ、マルコとルカ(またはマタイ)である二人の老人のモデルが同じなのは残念だ。
 ヤン=ブリューゲル工房作とされる「火」は錯綜した構図でみとおしが悪いが、ミラノのアンブロジアーナにある真作の「火のアレゴリー」(inv.68)と酷似している。アトリエでのレプリカか?。 主題的には貪欲のアレゴリーのようにもみえる。小品ながらオスターデの「窓辺で酒を飲む男」も悪くはない。
 フランス=ハルスの「リュートもった道化師」は標準作、同じようなまあそんなものかという印象をもつものに、ヘリット=ダウの「歯をぬかれる男」クロード=ロラン「クリュイセスを父親のもとに返すオデッセウス」バテルの「ナイル川にモーゼを遺棄するヨクベト」がある。
 カルロ=ドルチの受胎告知二作セットは、西洋美術館の「悲しみの聖母」におよばず、ルーベンスの作は手抜きがめだつ。レンブラントの自画像はなんかやけにフランス風にみえる。ドイツやウイーンにあるラファエロがやけにゲルマン風だったりするのと同じく輸出商品であるようなことはないのだろうか? 
 フランケンの花輪に囲まれた聖母子ではグリザイユはみどころがある。上部数cmが切断されているのが残念。花輪は別の画家の手にようるもののようにみえるが、ダニエル=セーヘルスほど上手ではない。
 ムリーリョはサイズが大きいほどできがいいという理論をプラドにいったとき思いつき、その後もさほど誤りがないと思っている。この半円形の絵はサイズが足りないのかあまりよくない。やはり3mは欲しいところか?
 静物画は総じてよくない。コールテの五つの貝殻など遠くからみると佳作のようにみえるが近くでみても質感がなんら感じられない、他も観るに足りないものばかりだ。風景画も前述のロランやバテルを除くと、平凡なものだらけで、ロイスダールなど言語道断な代物である。
 おみやげとしては、ラトゥールのクリアファイルを買った。透明なせいかあまりよくない額絵以上に雰囲気がある上実用的でもある。
by reijiyam | 2009-07-21 08:23 | ニュースとエッセイ | Comments(0)

西本願寺本三十六人集 みっつめ

また、平安時代から伝わったもののなかで、最も華麗な本、西本願寺本三十六人集のページを続けてみてみたい


  新潮社 昭和三十九年十月発行

みつね集
能宣集 下
もとざね集

e0071614_1345348.jpg




e0071614_1361431.jpg



e0071614_1354036.jpg

by reijiyam | 2009-07-12 13:07 | 蔵書 | Comments(0)

西本願寺本三十六人集  ふたつめ

再び、平安時代から伝わったもののなかで、最も華麗な本、西本願寺本三十六人集のページを続けてみてみたい


  新潮社 昭和三十九年十月発行

伊勢集
ただみ集
もとすけ集

e0071614_975767.jpg



e0071614_983232.jpg



e0071614_985749.jpg

by reijiyam | 2009-07-08 09:09 | 蔵書 | Comments(0)

セン塔銘 10 完

最初のてき(羽+隹)中溶は、たぶん宜興茶壺と関係のある人だと思う。
あとは、なんか気のない人が多いので一気掲載で、ここで完成させることにする。

e0071614_7364627.jpg




e0071614_734533.jpg



e0071614_7371499.jpg



e0071614_7373618.jpg



e0071614_7385544.jpg



e0071614_7391420.jpg

by reijiyam | 2009-07-05 07:41 | セン塔銘 | Comments(0)