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鄭道昭の 也

鄭道昭の雲峰山磨崖刻石の一つ「鄭公之所當門石座也」 の「也」です。文字の横幅が29cm前後もある雄大な文字で、戦前に片山萬年が「一億円也」の「也」だ。と言ったとか聴いています。
 
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by reijiyam | 2008-12-31 20:07 | 蔵書 | Comments(0)

鐵斎の自畫刻印

  富岡鐵斎が彫った印には絵をいれたものがあり、なかなか気が安まるよいものがある。
  「毫生佛堂主人 」木印の方印52x52mm そして、君子居之何陋之有(論語)をいれた丸い竹印 直径6cm を、1931年に同風印社で園田湖城が中心になって編集した、篆府 から、紹介してみる。

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by reijiyam | 2008-12-31 15:36 | 蔵書 | Comments(0)

毛主席詩詞十九首

1958年9月に北京の文物出版社で出版された本だが、なんと題箋が豪華な錦である。32.5cmx21.5cmの大判の本で、罫線の幅が2cmもあり、一文字が1.5cmぐらいある大字本、しかも伝統的な木版印刷の製版彫版本で上質の白紙に見事に刷ってある。
黄虎堂先生が共産党宣言(1973/11 上海書画社)について、「何と言う贅沢さ、何と言うブルジョアさ、一体誰を販売の対象としたのであろうか。」と言われていたが、それを上回るものだろう。だが「誰を」という問いには答えることができるだろう。中南海の共産党幹部・毛沢東・毛沢東に媚びを売りたい地方幹部。文革以前なら生き残っていた企業家である。
 毛沢東は、このころ、この本の上部余白に詩句の注釈をかき込んでいたようである。秘書の田氏が北京政府に寄贈した本の一つにそれがあって、共産党新聞にのったようだ。しかし、この贅沢な本に自注を書き込むというのは、清時代の皇帝や地主官僚そのものではないか。確かに毛沢東は豪農地主出身であり、複雑な心情の持ち主ではあったのだが。


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by reijiyam | 2008-12-18 10:21 | 蔵書 | Comments(0)

在昔篇の跋

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楊沂孫(1813-1881)在昔篇の末尾についてる趙烈文の跋である。光緒11年に楊沂孫の子孫が法帖に刻したということを賞賛している。この趙烈文という人は、日本で、碑帖を論じるとき、ときどきでてくる人である。個性の強い書なのでわかりやすい。
淑徳大学に彼の拓本コレクションがかなりあるようだ西林昭一先生が目録を作っていた。
by reijiyam | 2008-12-15 19:30 | 蔵書 | Comments(0)

在昔篇

 楊沂孫(1813-1881)の自作の文章を篆書で書いたもので、戦前には結構、篆書の手本として流布したもののようだ。求古書局の石印本がポピュラーだったらしいが、原拓の法帖はそうなかったものらしい。大東文化に寄贈されている宇野雪村文庫には1帖ある。同じく宇野雪村さんの玄美社で昭57年に出版したことがあるようだ。光緒6年6月の作品。この本の末尾には、趙烈文の跋があり、光緒11年に楊沂孫の子孫が法帖に刻したということを賞賛している。
 「初歩の篆刻講座 第5巻」に縮印があるが、同じ版である。ただ、少し傷みが多いので、貧架の本のほうがやや初拓に近いようである。初歩の篆刻講座のほうが、周囲を切り取っていないが、こちらは罫線ギリギリに切って装幀してある。
 趙烈文の跋の前には呉大徴跋があるが,これは光緒3年に呉大徴が常熟にきたとき作った文章を楊沂孫が書いたもののようだ、呉大徴が書いたような金文風の書なので、呉大徴の書かと思ってしまったがどうも違うようだ。なぜなら、本文が6年の書、呉大徴の文が3年である。楊の書に呉大徴が続けて書いたはずはないわけで、文章を作ったのが3年ということだろう。
 この墨跡は、どうやら常熟図書館にあるらしい。
 楊沂孫の作品は穏和なので、篆書学習の初歩の手本として使われ易く、やや低く観られがちだが、高野切にはじまって高野切に終わるとの言い方があるように、なかなか滋味のある作品だと思う。


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by reijiyam | 2008-12-14 11:35 | 蔵書 | Comments(0)