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唐 張令暁告身 その2

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後半で、これで、告身そのものは終わりです。
後の明時代の跋文などは、亦今度。
ここで、「真卿」とでかくサインしているのを、顔真卿だとして、
昔の人は、顔真卿の書だと言っているのですが、どうもこのサインは後世の人が値段をつり上げるために書き入れたものではないかとされています。
  小さなサインの上にかぶせて塗りつぶして重ねて書いたのではないか?
 書風が顔真卿のそれとは全く違うので、顔書というのは無理でしょう。第一、普通、こういう辞令書は、役所の専門家が書き、当時の責任者はサインだけをするものです。
 正倉院文書や敦煌からでてきた辞令書も皆、小さな字で一行に役職名を書いた下に別の書風で本人がサインを入れています。
by reijiyam | 2008-02-16 06:02

唐 張令暁告身 その1

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ACE 779年(ずいぶん調子の良い年だ)に書かれた張令暁という人を任命した辞令書です。
絹に書かれているということです。
字粒は22mmぐらいの行書です。
昭和15年初めには北京元市長の周大文氏の所蔵だったはずですが、第二次大戦後は行方不明になっています。
 後世の人が顔眞卿の偽サインをいれていますが、実際は無名人の筆でしょう。
公文書の形式は、正倉院文書と似ています。奈良の公文書形式ノウハウは唐のデッドコピーだったようです。

最近読んでる明 萬暦時代の李日華の日記(味水軒日記)の萬暦38年6月15日の分に,
これと同一物らしい書巻が双拘本コピーとしてでてきます。日記は活字だけですからなんとも
いえないのですが、昭和14年にこれを紹介した西川博士も写真をみただけのようですからコピーだったのかもしれません。絹というのも伝承なので写真だけでわかるものなのか疑問ですね。

Pl.source:「書道」第9巻2号,1940
by reijiyam | 2008-02-12 20:42

左元異墓門題記

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  この2本の石柱は、カナダのロイヤルオンタリオ博物館が所蔵していて、あまり拓本も採られず研究もされなかったためか、誤解も多いようなので、ここに精密な図版と、確度の高い資料を提供しておくことにする。
第1石柱の銘文:和平元年西河中陽光里左元異造作萬年ろ舎
第2石柱の銘文:使者持節中郎将莫府奏曹史西河左表字元異之ふん

サイズ:第2石柱のほうが高136.5, 幅18.5, 奥行19cm。
    第1石柱もたぶんほぼ同サイズ

出土事情
  梁宗和「山西離石県的漢代画象石」(文物参考資料1958年4期,p40,北京)によれば、一九一九年に山西離石県で出土した画象石が十点山西省博物館にあって、
それがロイヤルオンタリオ博物館にある石柱、画像石と一連のものであるようだ。ただ、記録されている銘文が違うのでちょっと変なところもある。
 一方、1940年刊行のShuo-wen yueh-kan(集文月刊?) No.1, p456のWei Chu Hsien "Han Tso Piao mu-shi hua shuo-ming shu..."によると、「1924年に山西省離石県馬茂荘で発見され、北京の古美術商が2石柱と5個の画象石を購入した。13個の画象石が現地に残っている。」
 ロイヤルオンタリオ博物館の記録によると、1925年にクロフツ氏George Croftsが購入している。

ロイヤルオンタリオ博物館のサイトに第2石柱のカラーイメージと記録があるが、なんと銘文が見えない。
欧米の博物館学芸員にとっては、銘文はそれほど重要なものではないらしい。この点文字の国である中国とはかなり違う。

和平元年(ACE150)と年紀がしっかりしているかなり大きな隷書なので、もっと尊重されてもよさそうなものだと思う。

Ref: "Some Fragments from a Han Tomb in the Northwestern Relief Style. Artibus Asiae, Vol 25, pp.149-162
by reijiyam | 2008-02-08 11:05 | ニュースとエッセイ