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蘇塘消暑図

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  このいかにも涼しい穏やかな色紙は北京の女流画家 周思聡(1939-1996)の作品らしい。画風もそっくりである。「蘇塘消暑図  辛酉 思聡 墨戯」とサインがあるから、1981年の作のようだ。
思聡は、たぶん論語  季氏篇 「君子有九思、視思明、聴思聰、、、」からとったのだろう。本名だとすると、士大夫、官僚階級の出身だろうから、文革中は苦労したと思う。後には、中国美協常務理事、北京美協副主席になっているから、一応報われてはいるようだ。

ずいぶん前に、東京の古書展で、汚い色紙の束の中から拾い上げたものだ。相当冷遇されていたのか、カビのシミが多い。
by reijiyam | 2007-08-22 09:22 | コレクション | Comments(0)

呉大徴隷書冊

e0071614_8311179.jpg最近、この「三關口鑿道記」を臨書しているが気持ちの良い書だ。開通褒斜道刻石(後漢 永平)の書風に倣った書で、摩滅して筆画がとりにくい開通褒斜道刻石旧拓本よりもよほど気楽に臨書できる。このような清朝の人の倣書は一つの解釈を示すものだが、肉筆でしかも時代が近いだけにあまりかまえず楽しめるのはありがたい。呉大徴や羅振玉は、篆書や金文で有名でそういう作品も多いのだが、むしろ隷書のほうに味わいの深い作品が多いと思う。
松丸東魚さん(1975歿、73才)が主催した白紅社の出版だ。昭和42年3月。これは臨書するための出版なので手本用に切り貼りしてあるようだ。原型がどういうものか巻子なのか軸なのか帖なのかもわからない。所蔵者もわからない。たぶん松丸東魚さんじゃないだろうか?

友人の藤本正厚さんから示唆されて購入したものだ。貴重な示唆に今更ながら感謝したい。
by reijiyam | 2007-08-12 08:31 | 蔵書 | Comments(0)

争座位帖 その2

e0071614_1112085.jpg tatsuji_fujiiさんのご要望にこたえて該当部分をアップします。もともとここは、祭姪稿真跡によくみられるように、楕円にぐるっと塗抹して消した線があったところに更に石の裂け目ができて痛んだ結果、少し表面が塗抹線にそって薄くはがれ落ちたのではないかと思われるような状態のように推察します。凸凹が内部にあるので、時代による痛みの変化、紙をどうたたき込むかの加減、凹に紙をたたきこんだときの折れや伸びの問題があり、内部の模様によって別石かどうかの判定は困難ではないかと思います。須和水雅氏旧蔵本のこの箇所の内部の模様も少し違っています。
 「貴」字については、清雅堂本では、右側の白い線/キズが、「カギ」状のところにつながっています。これは紙の傷みか折れではないでしょうか?
 モノクロ図版では、補墨や紙の穴、補紙などが隠れやすく、昨日アップしたイメージの「守」字の破れもモノクロなら特異な筆画になっていたかもしれません。Ellsworth本淳化もモノクロでみたいたときは大変な名品だと思っていたものでした。
 清雅堂本は関中本の素晴らしい精拓の古拓だと思っています。
by reijiyam | 2007-08-04 11:01 | 蔵書 | Comments(0)

争座位帖

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  清朝の拓本だと思います。末尾に「快雪珎蔵」という印があり、これは天来と親交のあった富山の若林快雪(文久3年~大正11年)の印のように推察しています。明拓というほど古く立派なものではないが、とにかく精密な拓本で隅々までみえ、いじって墨を入れてごまかしたところが殆どないようにみえます。
争座位帖の拓本はあとで墨を追加してヒビや欠損を隠し古くみせかけた拓本が非常に多い。そういう誤魔化しが相当古い時代から行われていたようなので、旧拓本も大抵、この災いにあっている。そのため旧拓本のほうがかえって文字の線が萎縮していたりする珍現象が起こるようです。


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近年、安氏刻本とされる古拓本も影印本として出現しているようですが、信じられません。争点になっている部分をピックアップしてイメージを挙げてみました。この比較的新しい拓でも、所謂「安氏本」の特色はでているようです。


  明の天順年間のころ西安にあった刻石は、王佐の「新増 格古要論」によれば、五石であり、かなり摩滅破損していたらしい。現在、西安碑林にある刻石は一石であり、それほどは摩滅破損していないから、別石です。五石に分かれた刻石からとった拓本らしいものはみたことがりません。仮に現在の石が古い五石からとった拓本からの重刻だったとしたら、五石にわかれていた跡がついていてよさそうなものでしょう。おそらく他所にあった別刻をもってきただけではないでしょうか。しかもこの「新増 格古要論」にいう五石本が安氏本だという証拠は何もありません。


 元時代の記述を読むと蘇東坡が精密に模写した争座位帖が多数あったこと。原本は宣和内府の崩壊とともに滅びたらしいことが推察できます。また、黄山谷も模写本を作ったらしいし、米元章も当然作っている。法帖をつくるときは一度模写本を作ってそれを貼り付けて彫るに決まっているのだから、原本を所蔵しなくても模写本があれば法帖はできるわけです。無論微妙なニュアンスが落ちてしまう可能性はあります。 そういう方法で作られた別刻ではないかと思います。また、 争座位帖の関中本系の拓本で宋拓と確信をもてるものがあるのか?ちょっと疑問に思っています。
by reijiyam | 2007-08-03 21:47 | 蔵書 | Comments(0)