カテゴリ:中国絵画入門( 20 )

玲児の中国絵画入門 10 北宋



玲児の中国絵画入門 9 鳥瞰図で文字だけであげたものを実例で絵解きしていくことにする。
ただ、あまり しっかりした解説ではなく、ゆるい感想程度ね。

まず、北宋時代の山水画と花鳥画と白描画、

最初は、范寛の 渓山行旅図(絹本 軸装 台北國立故宮博物院)

  まあ、なんといっても、右下のロバのキャラバンの小ささと精密さ。この精密さは清明上河図に優るとも劣らない。それと対比するこの圧倒的な山岳の巨大さ。この強烈な構想にまいってしまったんだよなあ。。この絵は2m6cmもある大きな絵です。たぶん、もとは屏風絵か壁画だったんじゃないかと思います。

なおこれは純粋な水墨画ではなくかなり他の絵の具が入っているそうです。


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次は、ちょっと意外かもしれないが梅花集禽図(絹本 軸装 台北國立故宮博物院)
 本来なら崔白の双喜図(台北國立故宮博物院)をだすところでしょ。実のところ、梅花集禽図の良さはケーヒル先生のSKILA社刊行の本Chinese Paintingを読むまではよくわからなかった、
 北宋画院の大規模な障屏画で、現在まで残っているただ一つのもの、といわれれば、まさにそのものです。高さが2m58cmもあるんですよ。これは。
  部分部分をみると、いわゆる「徽宗皇帝の花鳥画」そのもののじゃないかな? 典型的な宋の鳥画の大幅として、あえて注目してみたい。全体の構想や緊密さは崔白の双喜図のほうが優れていると思います。

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 そして、現在行方不明ですが、李公麟の唯一の真跡と呼ばれた五馬図巻をあげてみます。この図巻は最初の馬は一番優れていますが、最後はかなり劣っている。後ろのほうは取り替えられているっぽいです。第一の馬の部分を拡大してみます。

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  最後に、後世でよく使われる米法山水の始祖である米フツの絵はまるで残っていないけれど、その子の米友仁の絵はかろうじて残っている。ひどく傷んでいますが、上海博物館のこの雲山図巻はかなり良いと思います。部分図をあげます。下部に線があって空白になっていますが、これは他の米友仁の絵にもあるんで米友仁のクセだと思います。


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by reijiyam | 2015-04-07 10:24 | 中国絵画入門

玲児の中国絵画入門 9 鳥瞰図


 前回、宋以後だけが歴史として語れ観賞できると述べたが、宋以後でも1100年ぐらいある。
 西洋絵画史を見る場合、まあルネサンスがあってバロックがあって印象派があって、20世紀には抽象画だなんだ、ということでというざっくりした分け方でなんとなく解ったような気になるものだ。中国絵画で、宋以後で、そういうことができないのだろうか?

 まずはっきりしているのは、伝統的中国絵画の下限・有り体に言えば滅亡の時期で、それは、大平天国の乱・アヘン戦争のころである。これ以後、上海中心の「国画」の繁栄、西洋絵画の影響、日本の改革された日本画の影響などで、全く様相が変わってしまう。

 次に宋からアヘン戦争までの間で、いくつかの高峰、後世から典型とされ仰ぎ見られ、模倣され、贋物が作られる時代や作品群・流派があるわけだ。

 1.北宋時代の山水画と花鳥画と白描画、
 2.元末四大家(黄公望、呉鎮、王蒙、倪雲林)、
 3.明中期の蘇州の沈周 文徴明、仇英。
 4.明末清初の爆発的な多様化
 5. 乾隆アカデミズムと揚州派の時代


 この5点を押さえておけば、あまりひどい脇道にそれたりしないと思うし、なんとなく見通しがよくなると思う。
 勿論、この他にも重要な画家や画派や部門や作品は膨大にあり、日本に保存された宋元水墨画を無視するのかとか、抗議が多いだろうが、まずメインストリームを提示しないと五里霧中になってしまう。

by reijiyam | 2015-04-04 09:30 | 中国絵画入門

玲児の中国絵画入門 8 唐以前と宋以後

 中国絵画の歴史を現代から眺めるとき、唐と北宋の間に大きな断絶がある。

宋までは歴史、唐以前は考古学の対象である。

北宋まではなんとか、地上で手から手へ伝世された絵画をみつけることができる。唐時代以前となると、(日本伝世など)ごく希な例外を除いてそういうものをみつけることはできず全て盗掘品なり考古学的発掘品なりに頼ることになる。敦煌石窟壁画は一応地上だが、どちらかというと考古あつかいではないか? 小杉一雄は「忘中古」という面白い呼び名で敦煌石窟壁画を読んでいる。また敦煌の石室から発見された文書・絹画などは壁をこわしたとき発見したのだからどちらかというと発掘品である。 発掘品の場合、時代ぐらいはなんとかわかるが、特定の画家や流派に結びつけることは難しい。

 中国の地上の文化財は会昌の廃佛、唐末五代の戦乱で徹底した破壊をうけたと言わざるを得ない。


それは、晩唐の849年(「860年ごろ」は間違い、すみません)の歴代名画記と 北宋末の米フツの画史を比較してもわかる。歴代名画記には、「顧ガイ之・陸探微・張僧ヨウ・呉道子の絵画を集めて初めて立派な収集だといえる」と書いてある。多少の誇張もあるだろうが、そんな収集は、11世紀には徽宗皇帝でも困難なことであった。その間たかだか250年である。


 そのため、明以降になると、南北朝時代や唐時代の絵画は模写本やもっともらしい贋物すら殆どなくなった。そのため、当時の画家がどういう絵画を描いたのか全くわからなくなり、画風によって画家を推定することすらできなくなった。例えば 大阪市立美術館の「五星二十八宿神形図巻」に対して董其昌は呉道子だといい、陳継儒は閻立本だという。別の文献では張僧ヨウだという。 歴代名画記の著者なら画風が大きく違ってみえただろうからそんな変な意見はでるはずはない。 明時代には、文献記録だけは残っているので、画家の名前だけはわかる。こういう事情は、欧米でギリシャローマの画家の名前だけは文献で残っていて(アッベレースとかエウドクソスとか、、)絵画自体が全て失われているという状況に近い。 それでサインのない古画に適当な画家名をあてることになり、その結果として、ピカソの絵にルーベンスやレオナルドの名前をつけるような時代錯誤が少なくないことになった。


by reijiyam | 2015-04-03 08:01 | 中国絵画入門

玲児の中国絵画入門 7 谿山行旅図をみにいく

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ネルソン クリーブランド展を観たことで、再び中国絵画とくに山水画への関心が掻き立てられた。

玲児の中国絵画入門 4 吉村 貞司の煽り
http://reijibook.exblog.jp/22914314/

で、あげた 范寛の 渓山行旅図の実物を是非 観賞したいと思うようになった。

 東京国立博物館の東洋巻で中国書画はしょっちゅう展示替えしていることを知っていたし、所蔵している絵画が展示されていなかったベニスの美術館、玄関までいったが閉館だったロッテルダムのボイマンスなどの苦い経験がある。事前に展示しているかどうかを知らねばならない、と思った。わざわざ行っても展示していなければ無駄である。

  そこで、旅行社に相談したが全くダメ、日本における中華民国の実質的な大使館である台北駐日経済文化代表処
http://www.roc-taiwan.org/JP/

に手紙を出して、秋の10月10日~11月20日に名品展をやっているので、そのときいくといい、という情報をなんとかもらった。当時は、台湾にいくのにもビザがいったので、かなり前に準備しないと旅行自体できない。当時は、日本人がホテルに泊まると売春斡旋がうるさいという評判だったので、台北駅前のYMCAにした。結局1984年11月16日~18日で台北國立故宮博物院を訪ねた。

このときのメモが残っているが、「頭がオーバーヒート」と繰り返し書いているくらい興奮した。
なんせ、イメージのような豪華な惜しみない展示方法だったので、強烈な衝撃を受けたのだ。

 これほどの大盤振る舞いは、現在ではあまりやらないが、それでも、結構惜しみなく展示するほうなので、中国絵画 観賞の入門としては、極初歩のことを知ったら、台北國立故宮博物院で名画展をやっているときを狙って観賞することを是非お薦めする。最近はインターネットで展示情報を容易にとることができる。1990年代のように苦心惨憺し、手紙を出したりして情報を得る必要はない。中国書画の美術館などでの鑑賞のときいつも悩まされるのは、この展示替・展示期間などの問題であるが、現在ではインターネットによって、ある程度は改善されたのだから利用しない法はない。


 北京や上海に何度通ってもこういう経験はできない。刺激が強すぎたせいか。その後、1980年代に、北京故宮博物院の明清画展示を見たとき、ほとんどみるべきものがないと過小評価したぐらいである。

 その後、東京国立博物館の東洋館の中国書画ギャラリーには定期的に通って観賞していたが、
中国絵画を収集することは到底無理と悟って諦めた。むしろ拓本や書道史、古代の文物に関心を移すようになった。個人的事情もあり、台北國立故宮博物院に再訪するのはずっと後の1990年代になってからになる。

by reijiyam | 2015-04-01 08:56 | 中国絵画入門

玲児の中国絵画入門 6 ネルソン クリーブランド展

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東京へ移ってからは、東京国立博物館に通って東洋館の中国書画の常設展をみていた。当時、中国書画を常設!していたのは、日本中でここだけではなかったか?それに、比較的信頼できそうなところもいい。
 
 その東京国立博物館で、1982年10月5日~11月17日に開催された特別展
「米国二大美術館所蔵 中国の絵画」(イメージ)は画期的なものだった。

  現実問題として、これを観た経験と台北國立故宮博物院での経験が私の基準になっているといっても過言ではない。それほどの衝撃があった。残った切符半券を数えても五枚あり、たぶんそれ以上いっているから6回以上は行っていることになる。

  これは米国のカンサスシティーのネルソンアトキンス美術館とクリーブランド美術館が共同で開催したもので、 まず、カンサスのネルソンアトキンス美術館で1980年11月7日~1981年1月4日、次に、クリーブランド美術館で、1981年2月11日~3月29日に開催した。1981年10月に東京にもいくことは当初から予定されていたらしい。 この展示は、東京国立博物館の本館の2F全部で開催された。はっきりいてガラガラで、もったいなかった。

当時の東京国立博物館ニュースを引用すると「281件を陳列し、周~漢時代から清時代中期に至る中国全時代の系統的観賞の機会とした。北宋山水画の傑作や日本に優品の少ない元明清時代の文人画など、これら中国絵画本流にあたる作品の優品はよき眼福の折となり、」である。

 まあ、「周~漢時代」というのは大げさで南北朝時代までは少数の考古品のみ、有名な石棺石刻画も拓本のみだったし、唐時代として確かなものはなんと日本人旧蔵の敦煌出土の画稿・落書き だけだった。しかしながら北宋~清の末期大変天国の乱直前まで系統的にまともな作品が鑑賞できたのは驚異的だった。古原宏伸氏は当時 ミュージアム379号に「中国絵画の復権」という文章を書き、数点をあげて議論したあと、「批判がましいことをいえるのは、ほとんど以上にすぎない。二つの大収集を対象としたとき、これは驚くべき質の高さである」と絶賛していた。これを読んだとき、これは基準作にできる展覧会だ。無理しても通わなくては、と思ったものだ。

現在では、この言葉を文字通り真に受けることはできないが、それにしても粒が揃っている。仮に模本や贋作であったとしても、いかにもその時代その画家風のものであって、モネの絵をボッテチェルリにしてしまうようなムチャクチャなことはない。従来、中国絵画ではそういう無茶が平気で行われた。

訂正すべき点をいうと、
 クリーブランド美術館  雲山図巻の自題というような問題があるし、仇英の素晴らしく美しい潯陽送別図巻もどうもシカゴ美術館所蔵の桃源図巻から派生したものというの議論もある。 しかし、281件という量では、いくらか問題があるのはあたりまえである。普通の展覧会だと問題があるもののほうが多くて、素直に観賞できるもののほうが少ないという場合すらあるのだ。

 この展覧の特色として挙げられることは、明時代の作品が充実していて、しかも名のある画家の傑作と思われる作品が揃っていたことだ。文徴明の枯木図も良かったし、沈周文徴明合璧図冊も良質だった。董其昌の代表作といっても良い作が並んでいた。呉彬の五百羅漢図巻も壮大な作品だったし、クリーブランド美術館の明後期の丁雲鵬(1547-c. 1621)の玄コ出雲天都暁日図(Morning Sun over the Heavenly Citadel Peak, Ding Yunpeng 所蔵番号1965.28)は驚異的な作品で、会期の最後にはこれと許道寧「秋江漁艇図巻」だけを観にいったようなものだ。考えてみれば私の仙境図好みにあっていたのかもしれない。

また、清初の八大山人の作品も素晴らしく、法若真の雪山図巻はものすごいものであったし、日本も多いキョウ賢の作品だが、ここに展示されたような優れた画册(もと日本にあった博文堂で影印)や、壮大な2つの画巻のような傑作があるだろうか?と思う。

 これらによって、なんとなく植え付けられてきた「宋元画だけが素晴らしく明清画は堕落していて劣っている。」という先入観・迷信が「実物によって」、私の中で殆ど打破されたのが何より良いことだった。

 あまり感動したので、高かったし後日受け取りであったが英文カタログ(下イメージ)も買った。これがまた美術全集の一巻ぐらい重くて分厚く、しかも情報量が多い。あとで気がついたが、ミュージアム380号に掲載されたマークF、ウィルソン「馬遠筆画巻について」という論文は、書き下ろしの寄稿かと思ったら、なんとこのカタログの作品解説文を翻訳したものだったのだ。つまりこのカタログは論文なみの解説がどっさり詰まっているということになる。それに気がついたあと巨然谿山蘭若図の解説の翻訳を試みたりした。カバーは呉彬 五百羅漢図でこれも美しい。

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by reijiyam | 2015-03-31 10:14 | 中国絵画入門

玲児の中国絵画入門 5 中国画を買ってしまった


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 1975年ごろだろうか、長崎のある会場(ビルの中の貸し会場)で中国の掛け軸などの即売会があった。文革流出品というようなふれこみだった。わりと広い会場にはかなり汚い掛け軸が山積みされており、壁にも多数かかっていた。

 なんで、そんなところに行ったのか、よく覚えていないが、実家の近くだったので口コミや看板もあったのだろう。

 幸い!?「山水画は唐宋が素晴らしかったが明清は堕落した」「有名画家の作品には贋物がごまんとある」という「予備知識」をもっていたので、「沈周」や「文徴明」、「王石谷」などと麗々しくサインが入った汚い絵を全て無視して、無名画家の花卉画になんかいいのがないかと漁ったものである。意外だったのは、良いものがあるかもと思っていた墨竹画がひどいものだらけだったことである。

 そのとき買った2点は、意外と良いもので、現在まで捨てずにもっている。
  一つは西レイ印社の初期の社員 阮性山の1928年の若書きの細長い菊石図である。どうも菊蘭竹梅のセットだったものの1つだったのではないかと思う。この細長い形はそう考えると納得がいく。

   阮性山の発見
    
    にも書いておいた。
   もう一つは「竹初」という名前だけがある花と桃の絵で、たぶん嘉慶年間ごろの銭維喬の作品だと思う。これは買ったとき既に破れがあり、ひどい状態だった。その後、色々な経緯で紛失し、また戻ってきたので、友人の宮坂氏に表具をやりなおしてもらい、ずいぶん立派になった。

 大学生のとき、これだけのものが買える眼をもっていたということが当時わかってたら、職業選択を考えたほうがよかったかもしれない。当時これらの絵は「きれいな無名画家の絵」で「金にはならないが古い」ものであった。額縁屋・表装屋に「表装しなおしたい」ときいたら、表装する価値がないものだと言われた覚えがある。ある程度価値のあるものだとわかったのは21世紀になってからである。

 当時、即売会で売られた「文革流出品」は、どこから来たものか、今ならある程度は想像できる。一つは鄧雲卿が「魯迅と北京風土」で記述しているような、北京の瑠璃廠の画棚でカレンダーのようにつるして売られていた膨大な贋物と無名画家の山である。もう一つは紅衛兵に燃やされずに没収された分で博物館などにいれる価値がないとされた贋物と主として清末民国の土豪劣紳・地主階級の堕落芸術で、広州交易会などでどんどん輸出されていた。


by reijiyam | 2015-03-30 08:49 | 中国絵画入門

玲児の中国絵画入門 4 吉村 貞司の煽り




大学の教養部のころに、中央図書館でレポートの参考書を漁っていたとき、

吉村 貞司: 中国水墨画の精髄―その逸格の系譜 (1978年) をみつけた。

吉村 貞司 (よしむら ていじ、1908年9月24日 - 1986年1月4日)は、日本の文芸評論家・美術評論家で著作集まで刊行されているようである。
この東文研のデータがわりとよくまとまっている。
http://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10274.html

この本は後半部は中国絵画じゃなくて日本画や日本の画壇のことが書いてある。

この本は、煽りの多いプロパガンタ的な本だが、フランスの5月革命以降学生運動があった当時ではさほど違和感はなかった。梅原猛すら文化大革命を評価して「倫理性の回復」とか美化した文章を書いていた時代である(REF 哲学の復興 講談社)。

 優れた画家は、皆、体制に反抗して山中に隠棲自給自足をしながら自然を観察して名画を描いた、ということになっている。また清初の画家たちは、皆、反清運動の闘士で、絵画に政治的反抗を秘めたということになっている。正直言ってデタラメな本であるが、2つ とてもいいことが書いてある。


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 五代北宋時代の荊浩、関同、范寛、許道寧の作品がいかに素晴らしいかを力説し、范寛の渓山行旅図(台北國立故宮博物院、イメージ)の良さを示してくれたことである。特に右下、極小さなロバのキャラバン・旅人たちの列(CLICKして拡大しないとみえないと思う)に注目して、この巨大な山岳の空間性を認識するように誘導したことがありがたかった。前回のサリバン先生の本では右上の滝に注目しているが滝の描写は日本絵画にも多いのでさしたるものとは思わなかった。この吉村氏の本で、私も渓山行旅図をみてみたい! という気になった。入門書というのはこういう気持ちを起こさせるものではないだろうか? そういう意味で間違いだらけでデタラメの多い本ではあるが、私には役に立った。

 もう一つよかったのは、明末清初の新安派の画家 戴本孝(1621-1693)を紹介してくれたことだ。このぼやっとした特異な表現方法は興味深い。この本で紹介していたのは、米国の翁萬戈コレクションの画册の一つだった(下)。中心部の巌窟に座った人を描いているところから、画家の孤独と隠れ潜む心情を推定しているのだが、他の絵をみてみると、もっと開放的な作品や色合い豊かな作品も多く、決めつけはよくないなあ、と思うところである。しかしながら、吉村氏が注意しなかったら、この 戴本孝に注意することはずっと遅れただろう。ちなみに京都国立博物館の西上実氏は中國繪畫史論集 : 鈴木敬先生還暦記念の中で「戴本孝について」という専門論文を書いていて私もコピーをとって珍重していた。


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 この本のさらなる欠点としては、やはり鑑識が甘く、故宮名画300種とかいうような古い図録の画家名同定を鵜呑みにしていることだ。例えば、この本に北宋山水として図版となっている下の伝許道寧の雪景 も十七世紀以降の模倣作である(台北國立故宮博物院)。



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by reijiyam | 2015-03-29 12:08 | 中国絵画入門

玲児の中国絵画入門 3 本を読んでみた

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 今日でもそうだが、1970年代では、なかなか中国絵画の専門書はない。

で、1970年代後半の当時、たまたま、

下店 静市(しもみせ しずいち、1900年2月16日 - 1974年6月26日)の
支那絵画史研究 (富山房 1934年)を読んでみた。

なにせ「支那絵画」の専門書というのだから、期待したのである。ところが、分厚い割には、魅力的な図版が少ない。まあ、戦前の出版でモノクロなんだからしょうがない。しかしもっと違和感があったのは、「唐宋の絵画」を異常にもちあげ、元以降を「堕落」としてけなす姿勢である。清の王原祁なんてボロボロにけなしている。まあ、現在の私も王原祁をそう好きなわけではないが、そこまでいわなくても、という感じがする。


 だいたい、絵画の本を読むというのは、魅力的な作品を知りたいというのが動機の一つだろう。それが、あまりない。だいいちその素晴らしい「唐宋の作品」で感心できる作品があまり紹介されていないのだ。唐時代の有名画家の作品なんか何も残されていない、というのだからしょうがないが、宋時代の作品もたいしたことがない。作品がないのになんで「唐宋」の作品を褒めることができるのか不思議という他はない。存在しない「唐宋」の作品をほめあげ、一応存在する「元明清」の作品をけなすというのは、戦前の中国絵画の記述の通弊で、「絵画のない文献だけの美術史」などといわれたものである。それでも、この本の中で、一つだけ魅力的で、よく覚えているのが、現在、台北の國立故宮博物院にある 伝燕文貴 秋山琳宇 図(165x58cm)で(イメージ)、これは著者:下店 静市氏も北宋時代の傑作として、最高級にべた褒めしている。ところが、現在ではこれは十七世紀の模倣作・贋物ということになっていて、ほとんど展示されないのは残念だ。絵としては面白いのだから、なんとか救いようがないかなと感じるところである。


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このころ、図書館で借りて読んだものに、

中国美術史 (新潮選書) 1973/9
マイケル・サリバン, 新藤 武弘 (翻訳)

がある。現在もっている本(イメージ)は、ずっとあとで東京で買った。「諸橋蔵書」の印がある本だから、あの大漢和の著者の所蔵本かもしれない。

これはオックスフォード大学のサリバン先生による中国美術史 の定番本の翻訳で本当によくできている。多少の補遺で現在再刊しても充分役立つ本だ。新潮社には再刊を要望したい。 翻訳の底本は、1973年版の英語版とほぼ同じもの(図版は違う)である。実はサリバン先生が直接訳者に送った原稿なので 文章も1973年版本と絶対同じかというと違うところがあってもおかしくないが、読み比べるとほぼ同じといっていいと思う。

当時は、実はざっと読んだだけだったように思う。一見、平凡な概論書・教科書にみえるこの本の結構深い面白さを全部吸収したとはいえない。どちらかというと絵画部分ばかり読んでいたような記憶がある。

 かなり影響を受けたのは、贋物・模倣作・補修の鑑定が重要で、充分批判的にならないと研究自体なりたたない、という示唆である。

たとえば、、

234p> 現存する古典的絵画の多くが、様々な過程を経て原本か模本かを知るすべもなくなっており、せいぜいある画家ないしある時代の画風を示しており、本物とみなせるだけ古そうで質もよさそうといえるくらいである。時には、あとから同じ絵のもっと調子の優れたものが出現してはじめて模本とわかることがある。この分野では鑑定は最も難しく、いまだかって騙されたことのない専門家はなく、近年の欧米における傾向としては、中国人や日本人の鑑識家にばかり頼っていられない気持で過剰な注意を払うようになってきている傾向にある。

295p>かれ(仇英)の見るからに楽しい絵画は中国でも西洋でも愛好され、そのためもあって中国美術史上で王石谷に次いで贋物の多い作家であるといえよう。

329p>王石谷は前代の巨匠たちを模倣することにとくに才能を発揮しており、台北國立故宮博物院やそのほかのコレクションにある五代や北宋の山水画のうちのかなりのものが、かれの作品であることにほぼ間違いない(おそらく、上記の燕文貴もその類だろう)。

 別にサリバン先生は奇矯、激烈な批評家でもなんでもなく、穏健で、むしろ点が甘い英国紳士オックスフォードの教授なのだから、いかに中国絵画の世界がすざましいものかがわかる。

 こういう記述を読んだ後では、鑑賞の仕方が大きく変わるはずである。
 しかし、ナイーブな学生は、まだまだ、そこまで徹底しなかった。

by reijiyam | 2015-03-29 05:47 | 中国絵画入門

玲児の中国絵画入門 2 尖った山水画と宋元画



学生時代に、老荘思想などへの関心から派生して、中国絵画に関心をもってみたが、
まともな中国絵画の図録や本が全くない。ただ、世界美術全集などの一部に中国絵画の解説があった。

そのなかで小さな図版でみた

伝 馬遠 風雨山水図  (111x56cm 東京 静嘉堂文庫 国宝), はわりと気に入った絵画だった。


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 遠景に、尖った峯が林立しているのが、先回に言及した仙境的な趣があることや、近景も含めた大きな空間性を作っていることで、気にいったんだと思う。

 この絵は東京在住の折、静嘉堂文庫美術館などで何度かみたことがあるが、どうもそれほどは感動しなかった。粗悪な図版の方が影響力があったというのが、まことに不思議である。

  これは、国宝であり、日本に古くから伝世したものだろう。日本でいう「宋元画」「水墨画」の典型の一つである。

 どうも、日本の中国絵画の研究者には、水墨画・南宋絵画などに偏重する人が多い。これは、もともと室町時代以来の日本の中国絵画の賞翫・鑑賞が雪舟・狩野派などを経た南宋元の禅宗系水墨画から入ったことが多く、その系統のものが異常なくらい高い評価をもっている。これは東山御物以来茶道で尊重されたことと関係があると思う。 そのために中国本土では絶滅した宋末から元時代の禅宗系絵画が多数、日本で保存されたという功績もあるが、その反面、日本の中国絵画研究者の評価基準や眼のつけかたにかなりの偏りをもたらした弊害もある。
なにしろ、1950年代ごろなど戦後早く、台中(当時 國立故宮博物院はここにあった)にいった日本の学者は、日本でみなれた「宋元画」の基準でみるので、まともな観賞ができていないように思う。ジェームズ ケーヒル氏のほうがよほどまともに観ていた。また、戦前も阿部コレクション(現  大阪市立)を東京国立博物館のスタッフは全く評価しなかったという信じられないような逸話がある。

by reijiyam | 2015-03-28 07:04 | 中国絵画入門

玲児の中国絵画入門 1 中国絵画のイメージ

 1970年ころの日本人学生がもつ中国絵画のイメージというのは実に貧弱なもので、「中国絵画の代表作」をあげようとしても頭に絵のイメージも画家名もでてこないという有様である。一方で、レオナルドダビンチのモナリザとかクールベの「波」とか、ヌードがきれいなのでボッシュとかジョルジョーネとかは知っていた。また後期印象派のデュフィの筆致やシュルレアリスム系のキリコやエルンストの不思議な絵も好きだった。日本の画家なら逸話があった雪舟とか青木繁とかは、知っていた。しかしながら、中国絵画については画家の名も作品名も何一つ知らなかったのである。

 一方、妙なことに中国絵画」「山水画」の漠然としたイメージはあって、それは絵本やマンガなどの無名のイラスト・図像などから、頭の中で形成されてきたものだろう。それは、尖った不自然な山岳が林立し、雲気がたなびく仙境のようなものであった。

  そういう絵を現在まで残っている歴代中国絵画からさがすと意外に少ない。
明時代中期の仇英(ACE1494?-1552)の仙山楼閣図(台北故宮)がわりとイメージに近いと思う。

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少し拡大してみると、右はしの断崖に沿った道、山間にある楼閣、細長く林立する峯の間に雲がまつわっているところなど、昔いだいた「中国の絵」のイメージそのものである。


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 こういう仙境画は下の(遼寧省博物館)の小品もある。これは両宋名画册という小品のアンソロジーに入っているが、南宋時代というよりもっと新しいものではなかろうか? こういう仙境画は、由緒のある立派な絵は少ないが、雑な絵や道観や寺院の壁画や版画、挿絵、陶磁器の絵などとして、民間に相当多いのではなかろうかと思う。


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また、ケーヒル先生が北宋末南宋初めの李唐にアトリビュートした奇峯萬木図(台北故宮)もわりとそういう感じだと思う。


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 また、中国土産品店でよく売っていた「コルク画」の細工物のイメージも、大きいと思う。これらはどうももともとはお葬式のときに燃やして、あの世で、こういう豪華な庭園に棲んでくいださいと願うものらしいが、当時はそういうことは知らなかった。台湾映画「非情城市」のお葬式の場面で燃やすところをみて、あっと思ったものである。ただ、このコルク画自体は1920年代に始まったものだそうで、意外に新しいものである。ただ、その祖型のようなものは中国にあったと思う。




山水画以外の絵画ジャンルに眼がいかなかったのは、「山水画」が眼をひくものであったためだが、粗悪で小さな図版では、花鳥画は日本の絵と変わらないようにみえるし、美人画はちっとも美人にみえない顔だし、いかめしい役人王様のしかもあまりリアルでない人物画なんか面白くもなんともないからである。

by reijiyam | 2015-03-27 08:13 | 中国絵画入門