カテゴリ:ニュースとエッセイ( 33 )

富春山居図について

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2011年7月2.3日に富春山居図 特別展を台北故宮博物院でできるだけ詳細にみた結果、
次のようなことを考えた。

1.焼失・切断された部分の長さは短い
・沈周臨本の第1紙にあたる部分はあまり長くない。現在の剰山図の二倍程度である。沈周臨本の巻頭の沈周印からすると、巻頭は切れていない。
・子明本も同様である。
・長い(5尺)と記述する記録は全て、清代の殉装焼却事件以後の記録である。
・鄒之麟の臨本は 最初に長い平沙の部分があるが、他の部分もかなり違う。沈周が最後に一景付け加えたように、明人の臨本には追加補足する習慣があるのではないだろうか?


2.第一紙はもともと取り替えられていたか?
  現在の剰山図は下手すぎる。シュンにしても樹法にしても無用師巻とは大きく遜色がある。紙質は少し汚れているぐらいで似ているが、呉氏の手に入る前にとりかえられているのでは?

  董其昌が呉氏に抵当として渡したときに、既にとりかえられていたのでは? 少なくともこの時点では現在の剰山図と無用師巻がつながっていたはずだ。

「1650年以降に切断されたものの再会」には違いないが、黄公望のオリジナルの再会とはいえないのではなかろうか?

3.沈周臨本の性格
  ・淡彩本、少し丈が高い
  ・雲気雲霧の表現はオリジナルより優れているところがある。
  ・最後に一景追加+ 無用師巻ではかなりぞんざいにあっさり描いている終景をかなり丁寧にかきなおしている。
  ・補完部分にはいわゆる沈周風がよく出ている。

4.子明巻の性格
  ・董其昌プロトコルにのっとっている。董其昌が観た富春山居図という感じすらする。もりもりとした山や唐突な丘の突出が肉食的で、あっさりしてない。
・巻末の切断が唐突。おそらく真の画家のサインや題詞などがあったので、切断してしまったのだろう。
・乾隆帝が愛好したのは董其昌絵画愛好を通して富春山居図を想像していたからだろう。
by reijiyam | 2011-07-17 12:59 | ニュースとエッセイ | Comments(0)

文賦に紹興印があった

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2009年、台湾の学者(どうも城北國小?小学校の先生?)の趙茂男さんが、
〈文賦〉卷中宋高宗「紹興」印的發現. 趙茂男; 故宮文物月刊; 315 2009.06
というレポートを書いているようだ(未読)。

  ただ、表題だけで、どういう発見だかわかる。

  故宮博物院にある、唐の陸柬之の作品とされている 文賦  末尾にある蔵書印の下に更に別の印があって、それが十二世紀南宋初期 高宗皇帝の宮廷印 「紹興」であるというものだ。
 文賦 について検索していたら、偶然でてきたものだが、しまったやられたという感じもある。まあ、私より細かく観ている人がちゃんといるということだ、後世畏るべし、と思ったものだった。
  
  イメージをあげておくが、上が もとの状態、次が、私自身が、隠された線を赤で描いてみたもの、更に下が同類の印 これは、王羲之の有名な快雪時晴帖に押されている印である。



 文賦の蔵書印は、従来元時代までしか遡ることができなかった。そこで、「元時代の臨書」という説もあったぐらいである。「紹興」印ということは、単に南宋初期に遡っただけでなく、当時珍重されていたのだから、更にずっと古いものであるという証拠にもなるわけで、画期的発見だと思う。
 ここであげたイメージは30年以上前に出版された図録からとったものなので、当時でも、確かにみえているものなのだ。ところが、ちゃんと観察しなかった。見えていても見えなかったわけだ。こういうものは他でも結構あると思う。


  ただ、元時代の収集家が、なぜ  重ねて押したのか? 偽印だと思ったのか?  それとも紹興内府由来であることを隠さないとまずかったのか? ちょっとそのへんがはっきりしないところがある。
by reijiyam | 2011-05-28 09:07 | ニュースとエッセイ | Comments(0)

法隆寺の拓本のもとは

法隆寺の拓本の真偽 というのを日記で書いていたが、原石や青銅刻字鋳造字の現物がある場合は、それを基準にすべきだろう。ただ、石碑など現物が残っているものでも、字が摩滅していた場合、無理にはっきりさせようとして掘り起こしてだいなしにしてしまった場合も多いので、絶対に原石が正しいというわけでもない。

法隆寺金堂釈迦三尊光背裏の銘文のまあまあみれる写真を提供することにした。
拓本ではなく、現物そのものの写真である。
これは大正の法隆寺大鏡によるものなので著作権はきれている。

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by reijiyam | 2011-04-30 09:36 | ニュースとエッセイ | Comments(0)

寄贈品の死蔵を考える

  二月二十二日まで京都国立博物館で開催されている筆墨精神展は、朝日新聞社主:上野理一氏が昭和35年に寄贈した上野コレクションが軸になっている。つまり寄贈後五十周年記念というわけだ。そのため朝日新聞のサイトにも大きなCMがのっている
また、上野家に現在あるもの、上野家旧蔵で寄贈・購入などで博物館に移ったものも多数展覧されている。
  当方の手元に、当時寄贈したときの、内部資料目録がある。ガリ版刷りの粗末なものだが当時出た薄いパンフレットや後に出た豪華な大きな図録と違い、全部の品がエントリーされている。

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  これを読むと驚くべきものがエントリーされている。

  夏木清蔭図 董源(五代南唐) 2.963x1,160 一幅
  松峰高士図 董源(五代南唐)  2.167x968 一幅
江山平遠図 巨然(五代南唐~北宋)  1.788x1.009 一幅

  雲林六墨  倪雲林(元末明初)一帖
 などなど
  五代南唐の董源の絵なんて、まともなものは事実上無く、良い模写でさえ結構貴重である。また巨然の絵はまだ信頼すべきものがないわけでもないが(異論は多いだろうが)、まともなものなら国宝級、精密な模写でもありがたいものである。また、倪雲林の作品なんて非常に少ないから少々怪しくてもチェックの意味はある。
  しかし、今回の展示でも全くでてないし、京都国立博物館の平常展でもかってみたことがない。

  なんという死蔵! 不見識であろうか? と思うのが普通であろうが、これには裏がある。  

古い雑誌に、これらの董源と巨然の絵の図版をみつけることができた。
  夏木清陰図:この構図は南宋以降でないとあり得ない構図である。山の描き方からすると明時代以降の絵画だろう。五代南唐の董源の600年以上あとの絵である。

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  松峰高士図:これもまた南宋以降でないとあり得ない構図であるが、山の形、木の枝振りの奇妙さはちょっと変すぎる。17世紀ごろの擬古的な作品ではないか??
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  この2点の董源の伝承のある絵画は、董源とは全く関係がない。
  
  江山平遠図 これは横に長い巻物の一部を切断して拡大したような絵画である。もとは何枚かの揃いの屏風だったのかもしれない。 これは樹法などは少しましなところがあるが、遠くの山の感じは 巨然とはほど遠い。董源や巨然といわれていた絵画を大きく部分拡大して作ったものではないか? 明代後半??
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  これらは画家の名前だけは有名だが、実際は全く違う人の絵画にそういう名前をむりにつけているのだ。無名の画家の絵では高く売れないからこういう改造をしたのだろう。


  雲林六墨 : 希少な倪雲林の作品が6点もあるといういうのは凄いっと思うが、今、図版をいだせないが、私はこれの博文堂の影印を立ち読みしたことがある。なんと皆17世紀のきょう賢の作品そっくり、たぶん17世紀の作品を改造したのではないか? 倪雲林の300年も後の作品である。


 まあ、こういうものを寄贈されても、そのときは感謝してうけとってもあと、あと展示に使おうとおもってもできず、結局しまいこんでしまうのが一番責任逃れになる、ということになるのである。

 勿論、時代が変わって評価基準が変わり復活するものもある。例えば伊藤若冲なんかは30年前は現在ほどはもとはやされることはなかった。奈良絵本なんか昔は下手物あつかいだった。
 そうはいっても上記のようなものは困ってしまうだろう。

ニューヨークのメトロポリタン美術館のように、寄贈された絵画を一年もしないうちにオークションで売ってしまい、寄贈者や遺族から訴訟される美術館もある。日本ではいくらなんでもこういうことはできないだろう。
 しかし、死蔵はやはり問題なので、

  寄贈者の相続人代表や寄贈法人に
「寄贈者への返却 または当館が処分(売却など)をすることへの同意」を申し出たらどうだろう。 

「御寄贈後 10年間、当方で展示もせず公衆のために有効利用できず心苦しい、当館の展示傾向とはあわないように思いますので」とかそれなりの口実はできるだろう。

税法上は贈与になるが、こういうものなら評価金額も低いから譲与税もほとんどかかるまい。 また特別な控除枠を法律でつくるという手もある。
 処分オークションをしたら案外中国人が転売目的で群がるかもしれないよ。
by reijiyam | 2011-02-13 15:24 | ニュースとエッセイ | Comments(0)

正倉院鏡の左横書き

  正倉院に、彫刻した銀板を背面に貼った大きな鏡がある。南倉70の1である。今は、金銀山水八卦背八角鏡と呼ばれている(正倉院の金工、週刊朝日百科世界の美術)が、もともと古代の名前札がついていたわけではないし、八世紀の文書にも入っていないわけで、まあ適当に明治以後名前をつけたのだろう。当然、いつどこで制作され、いつ正倉院に入ったのかもわからない。

 こういう銀板を貼った鏡は、中国からも出土していて、白鶴美術館、天理参考館などにみごとな例がある。ただ、多くが高浮き彫りのように模様を打ち出しているものが多く、この正倉院の鏡のように線刻だけというのは珍しいと、金工の専門家もいっているようだ。また、大きさとしても最大級である。

 これの写真をみていて、違和感をもって気づいたのは
「銘文が左横書き」
であることだ。鏡の銘文で「左横書き」というのは他にみたことがない。

  一体これはどういうことだろう。

  線刻だけという技術的な異風も併せて考えると、中国産ではないのではなかろうか?
  しかし、模様のパターンなどは明らかに中国の道教仙境風の作である。また、銘文自体はたいして上手とはいえなくても一応詩になっている。文字の書風についていうと、こういう金工の小さな文字は北魏時代から書風的には似たようなものになりやすいので、時代を判断し難い。

  中国産でなくても、カンボジアやペルシャで制作されたものではないだろう。少なくとも漢字文化圏での制作だ、とすると、日本での制作、あるいは渤海か?と考えたくなる。大きさが大きいというのも、古墳時代の日本で中国では実用性がないからまずつくらない巨大な鏡を制作したことも考えると日本製という線も強いと思う。

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by reijiyam | 2010-07-18 10:35 | ニュースとエッセイ | Comments(0)

ロシア所蔵西域写本展覧会を観て

ロシア所蔵西域写本の展覧会が京都国立博物館で開催され,2009年7月18日に鑑賞したが、以下の点ともう一つ(これはHPで発表予定)が、書道史的に面白い研究材料になりそうだと感じた。ただ、論文に膨らませるほどの甲斐性がないので、ここに提示して博雅の士の高見を待ちたい。

・五世紀の法華経と書道博物館「老女人経」の書風の類似
展覧会図録 61番の敦煌由来の法華経(左)
は淡褐色の紙で、特に墨だまりはなく、筆画のなかに均一に墨がひろがっている。墨ののりがよいのだろう。書風は台東区立書道博物館所蔵の「老女人経」(集成 第001番)(右)に類似する、特に「是」の酷似は気になる。本文末尾の12行と偈頌と末尾題記から構成されている前半が欠けた巻子だ。本文十二行のほうがやや字が大きいせいか字が良いようにみえる。文字の大小によって同じ人が書いても巧拙がでてくることがあるのは自分の経験でもあるので、そのためだろうか。図録には本文部分の写真がないのが残念であるが、偈頌部分のイメージで推察して欲しい。
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・4、5世紀とされる正法華経の白い紙と書道博物館「法華経方便品」
展覧会図録62番に、4~5世紀とされる敦煌由来の法華経の初期翻訳写本(左)がある。この紙は妙に青白く、灰色の墨罫線がある。 
 よくみると、点画に墨溜まりが多い。そして墨だまりの外が淡墨になっている。
 にじみのない紙なのだろう。なんらかのコーティングによって白さと滲み止めをやっているのではないかと思う。
 台東区立書道博物館所蔵 伝トルファン出土本法華経方便品断片1紙も、やはり妙に白い紙であり近いかもしれない。これは 台東区立書道博物館所蔵 中村不折旧蔵禹域墨書集成(以下 集成)の152番 王樹ナン旧蔵の「北涼写経残巻一」巻の巻頭に貼ってある1紙である。書風は違うし罫線もないが紙質は類似しているように思った。

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・行書目録と装飾体題記と写本年代
  展覧会図録 53番のトルファン由来の増一阿含経第十五表紙は、行書があまり普通なので、五世紀よりもう少し時代が降るのではないかと思った。「増一阿含経第十五」は隷書の波ケツを強調した書体だが、これは一種の装飾体であり、このような題記は北魏時代後半6世紀初めにもあるのでそう古いものとは思えない。
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・展覧会図録 63番隋経で巻軸にまきこまれる部分に後記が書いてあった。こういうのは普通にあるのだろうか?。図録にはその部分の写真なし。

・展覧会図録 84番 唐の格式律令事類 断片 をみると、甘い感じの書法で、いかにも俗流蘭亭風、院体とはこういうものであったかと感じさせるものがある。
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by reijiyam | 2009-07-26 09:38 | ニュースとエッセイ | Comments(0)

ルーブル展 京都市立美術館  感想

 ラトゥール「聖ヨゼフと幼児キリスト」は意外とよかった。とくにキリストの右膝とサンダル、ヨゼフがもつドリルの木の握り手、床に転がる木屑がよい。
 一方、他のラトゥール作品にもみられることだが、奇妙な手の形、肉体の解剖学的構造の無視、中心部分のみ精密に描いて周囲を手抜きする傾向はみうけられる。できのレベルからいうと、「聖ヨゼフの前に現れる天使」より落ちるが充分真跡といってよいのではなかろうか。
 キリストの顎が二重顎のようにみえるのは気のせいだろうか? 蝋燭を支える右手がどうみても左手より大きく、しかもその指の形がかなりおかしく蝋燭をささえる通常の手指の曲げ方ではない、これはレンヌの聖誕でミイラ巻にされた赤子キリストをささえる聖母マリアの妙な指の形にもみえることである。聖ヨゼフの体は、まるで胴体が著しく短いようにみえ、足が胸に直接ついているような感じすらする。これはこの空間を構成するために通常の解剖学的構図を犠牲にしているようにみえる。
 色は全体にオレンジがかっていているがニスの劣化のせいとは思えず、もともとの色ではないかと思う。額縁は安っぽいもので新しい19-20世紀のものだと思った。
 フェルメールの「レースを編む女」は、まあ普通のもので、私としてはもとBEITコレクションのほうが印象が良かった。ただ、保存状態がかなりよいと思った。背景が塗り直されてはいず、原初のものを残しているようにみえるからである。
 ルナンの農民の家族は、ちょっと切り縮められているのではないかと思った、いまでも充分大きな絵だがどうもきゅうくつだ。ロンドンナショナルギャラリーのルナン作のほうがよいと思った。
 思わぬ佳作としては、ヨールダンスの四福音記者がある。肖像群としては上々のもので、肉体が弱いヨールダンスの作品としては例外的によいし、左下の本の描写も見事である。ただ、マルコとルカ(またはマタイ)である二人の老人のモデルが同じなのは残念だ。
 ヤン=ブリューゲル工房作とされる「火」は錯綜した構図でみとおしが悪いが、ミラノのアンブロジアーナにある真作の「火のアレゴリー」(inv.68)と酷似している。アトリエでのレプリカか?。 主題的には貪欲のアレゴリーのようにもみえる。小品ながらオスターデの「窓辺で酒を飲む男」も悪くはない。
 フランス=ハルスの「リュートもった道化師」は標準作、同じようなまあそんなものかという印象をもつものに、ヘリット=ダウの「歯をぬかれる男」クロード=ロラン「クリュイセスを父親のもとに返すオデッセウス」バテルの「ナイル川にモーゼを遺棄するヨクベト」がある。
 カルロ=ドルチの受胎告知二作セットは、西洋美術館の「悲しみの聖母」におよばず、ルーベンスの作は手抜きがめだつ。レンブラントの自画像はなんかやけにフランス風にみえる。ドイツやウイーンにあるラファエロがやけにゲルマン風だったりするのと同じく輸出商品であるようなことはないのだろうか? 
 フランケンの花輪に囲まれた聖母子ではグリザイユはみどころがある。上部数cmが切断されているのが残念。花輪は別の画家の手にようるもののようにみえるが、ダニエル=セーヘルスほど上手ではない。
 ムリーリョはサイズが大きいほどできがいいという理論をプラドにいったとき思いつき、その後もさほど誤りがないと思っている。この半円形の絵はサイズが足りないのかあまりよくない。やはり3mは欲しいところか?
 静物画は総じてよくない。コールテの五つの貝殻など遠くからみると佳作のようにみえるが近くでみても質感がなんら感じられない、他も観るに足りないものばかりだ。風景画も前述のロランやバテルを除くと、平凡なものだらけで、ロイスダールなど言語道断な代物である。
 おみやげとしては、ラトゥールのクリアファイルを買った。透明なせいかあまりよくない額絵以上に雰囲気がある上実用的でもある。
by reijiyam | 2009-07-21 08:23 | ニュースとエッセイ | Comments(0)

矢代幸雄の述懐

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 これは、なぜか
 ・忘れ得ぬ人びと : 矢代幸雄美術論集1 / 矢代幸雄∥著 / 岩波書店 , 1984.2
  に収録されなかった、前置きの文であるが、なかなか読ませるので忘れられるのは惜しい。
***引用***  大和文華 14号 昭和29年6月 ***
  歴史を作るものは結局人である。人の事績の大切な点を適切なる判断を以って知ることは、歴史の精髄を具体的に知ることである。私はその意味で、誰かの人生の事実に即したる回想録(メモワール)的文章を読むことを喜びとするが、また顧みれば、私自身も昔を語りうる年齢に達したと思われる。私の接触した人々に思いがけず偉い人もあり、またその事績を伝えておくことが将来の人々のためになる場合も、屡々あるような気がする。近頃の若い人々を見ると、大戦争が挟まったせいか、実に昔の事を知らず、また知ろうともしないかの如き様子がある。これは現代のはげしい時勢の進運とも言えるが、また知らないために随分損をしている場合もある。何となれば、人間は過去の上に立ち登って、更に向上するからである。
 私の記憶のうちに去来する忘れ得ぬ人々は多いが、本稿に於ては美術界に功績ある人々に限ろうと思う。そうすると、私は当然本稿を、私を育ててくれた故正木直彦先生を以って始める可きである。然し正木先生の日本美術界への影響力は大きく、また先生と私との一生涯を通じての接触も、容易に書き得ることではない。それで私は非常な大物である正木先生を後廻しにして、珍しい大学者であったにも拘わらず、今は比較的人に忘れられ勝ちの大村西崖を先づ最初に取り上げることにする。
***(新字新かなに変更したのは、引用者の責任)****

「実に昔の事を知らず、また知ろうともしないかの如き様子がある。」近頃の若い人々こそが、現在、自分の無知と不勉強を棚上げにして「近頃の若いものは」ともっともらしく言っている連中である。
by reijiyam | 2009-05-13 07:57 | ニュースとエッセイ | Comments(0)

左元異墓門題記

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  この2本の石柱は、カナダのロイヤルオンタリオ博物館が所蔵していて、あまり拓本も採られず研究もされなかったためか、誤解も多いようなので、ここに精密な図版と、確度の高い資料を提供しておくことにする。
第1石柱の銘文:和平元年西河中陽光里左元異造作萬年ろ舎
第2石柱の銘文:使者持節中郎将莫府奏曹史西河左表字元異之ふん

サイズ:第2石柱のほうが高136.5, 幅18.5, 奥行19cm。
    第1石柱もたぶんほぼ同サイズ

出土事情
  梁宗和「山西離石県的漢代画象石」(文物参考資料1958年4期,p40,北京)によれば、一九一九年に山西離石県で出土した画象石が十点山西省博物館にあって、
それがロイヤルオンタリオ博物館にある石柱、画像石と一連のものであるようだ。ただ、記録されている銘文が違うのでちょっと変なところもある。
 一方、1940年刊行のShuo-wen yueh-kan(集文月刊?) No.1, p456のWei Chu Hsien "Han Tso Piao mu-shi hua shuo-ming shu..."によると、「1924年に山西省離石県馬茂荘で発見され、北京の古美術商が2石柱と5個の画象石を購入した。13個の画象石が現地に残っている。」
 ロイヤルオンタリオ博物館の記録によると、1925年にクロフツ氏George Croftsが購入している。

ロイヤルオンタリオ博物館のサイトに第2石柱のカラーイメージと記録があるが、なんと銘文が見えない。
欧米の博物館学芸員にとっては、銘文はそれほど重要なものではないらしい。この点文字の国である中国とはかなり違う。

和平元年(ACE150)と年紀がしっかりしているかなり大きな隷書なので、もっと尊重されてもよさそうなものだと思う。

Ref: "Some Fragments from a Han Tomb in the Northwestern Relief Style. Artibus Asiae, Vol 25, pp.149-162
by reijiyam | 2008-02-08 11:05 | ニュースとエッセイ | Comments(0)

富貴楼の呉昌碩

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長崎市の料亭富貴楼
http://www4.ocn.ne.jp/~fukiro/
は、伊藤博文が名付け親という、古い料亭であるだけでなく、味サービスとも一流である。
ここに、近代中国書画の巨匠である呉昌碩の書画があるということは、陳舜臣さんのエッセイで聞き及んでいた。長崎に移居した縁もあったが、叔母からの話で、富貴楼で食事をすることになったので書画の鑑賞を懇望して、快諾された。
昼食の前に宴会場の壁に数点かけていただいた。七十六歳の蘭石は殊に傑作で墨の色も良い。絹[糸光]本であることも割と珍しい。この箱には、呉昌碩の名刺にコメントしたものがついているのも奇である。
蓮の紙本軸も良質なものである。紙本篆書の一行書もあった。これは、料亭入り口の刻字聯に近いものである。
食事をいただいた間にも、写真のような呉昌碩の刻字額があり、好ましい。
また、王一亭の鶴の絵(絹)に呉昌碩が題賛したものがあり、呉昌碩の行書題のなかでも力作だと思った。
王一亭の書軸(紙本、行草)を観たが非常にあくの強い書で、好みが分かれるところだろう。
 もともと、ご親戚が上海に六三亭という料亭を営業されており、その筋でご購入されたもののようである。
王一亭もかなり所蔵されているような感じであった。
 同時代購入の質の良いコレクションであり、全貌を観る機会があれば、と感じた。
by reijiyam | 2007-03-24 20:41 | ニュースとエッセイ | Comments(0)