カテゴリ:ニュースとエッセイ( 33 )

日本の風景

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  年末なので、日本的な風景、どういう風景が日本人に好まれ、日本の風土をどういう風に日本人がみていたか? という例をあげてみたいような気がする。結局、絵画というのは人間が好ましいものを描くのだから、題材が同じでも描く人によって変わる。欧米人が描いた日本の風景に別の面白さがあったり、香港広東で西洋人が描いた植民地絵画に不思議なエキゾチックがあるのもそのためである。

 日本的といって、まず思い出すのが室町時代の大和絵屏風である。東京国立博物館所蔵のこの屏風はまことに不思議なものである。和歌山の金剛寺の屏風も素晴らしいが、それよりもっと静かなのどかな感じがする。



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また、平安末の風俗画として、扇面写経の下絵(12世紀)をあげてみたい。部分イメージであるが、これは東京国立博物館本を木版画におこしたもので、原本よりよくわかる。原本は銀のヤケや退色でかなりわかりにくい。
 左の女が太い裸足なのが明白なのが面白い。

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by reijiyam | 2011-12-31 20:58 | ニュースとエッセイ | Comments(1)

拓本の折れ

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 拓本で、もともと折って保存されていたものでひどい折れ線ができていて観賞にすら支障があるものがある。イメージは嵩山少室神道ケツの拓本だが、強い折れ線のせいで写真撮影にすら問題が生じている。このような折れはどうやって解決できるだろうか?
 全部あらたに裏打ちしなおして表装しなおせば解決はするが、費用が馬鹿にならないし、拓本の平板化も避けられない。
  まず、裏打ちしていない拓本の場合は水で裏打ちしてみるという手がある。裏打ち紙は剥がしてしまうのだがそれによって汚れもとれ、折れているところがのびる。
  イメージのように裏打ち済みの拓本が折れている場合は面倒だ。最近、当方がやっている方法は折れ線を筆ですこし濡らして、小型アイロンで裏側から伸ばすという処理である。直接アイロンをあてず、湿気を加えた木綿布などをあてて低温のアイロンをかけるだけでかなり改善する。完全に解決するとはいえないが、かなり改善はするのでお薦めしてもいいかなと思っている。
 アイロンは裏からあてること、表からでは効果は薄い。
 高温のアイロンでは焦げてしまうから低温の、できたら小さなアイロンでやると効果がある。
by reijiyam | 2011-12-07 21:37 | ニュースとエッセイ | Comments(0)

神龍蘭亭の変身

  これは、私の発見ではなく、伊藤滋さんからの伝聞だ。それも北京の蘭亭シンポで某氏がコメントしたものが発端だそうである。
  一応、当方の考えも織り交ぜるので、文責は全て私にある。

  現代、普通に使われているカラー印刷の神龍蘭亭(八柱第三本)と文革以前に撮ったモノクロ図版で違いがあるというのだ。更に人民美術の中国美術全集所載のカラー図版がおかしい、神龍本は二本あるのか?という指摘すらあったという。
 また伊藤滋さんがいうには二玄社 原色法帖のカラー図版のもとになった写真原版には明らかに傷があるようだ。
 まさかそんな?と思ったので 一番明白な、「仰」字の最終縦線をみてみる。
1964年北京発行の、[文物精華編纂委員会、 文物精華 第三集、 文物出版社、 北京、 1964年] には非常に精密できれいなモノクロ図版がはいっている。これでは、途中に線の中断がある。

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最近、雑誌「墨」などにのっているカラー図版では、中断がない。

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では、これは、前者の写真原版の傷なのだろうか?

実は戦前、西川寧先生が北京からもってきた写真にも中断がある。1956年以前の日本の出版物にでた写真によってわかる。

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更に面白いのは、刻本の拓本、それも神龍本そのものではなくて、派生本、同系統本とおもわれる模写本から刻したらしいものでも、中断があるのだ。
これは、神龍本の原本にも中断があったという傍証になる。

上が豊刻本  下がいわゆる宋拓神龍蘭亭。

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じゃ、今、北京にあるものは、なんなのだろう?
by reijiyam | 2011-11-22 11:07 | ニュースとエッセイ | Comments(0)

クリーブランド美術館  雲山図巻の自題


 敦煌本の偽写本のことを読んでいたとき、「偽写本をもとに論文を書くと、全部が無駄になって崩れ落ちてしまう」というような記述があった。絵画においても偽物を真蹟として論をすすめると危険きわまりない。勿論、偽物は本物に似せないといけないことが多いので画風など類似しているという期待はあるし、題跋印章までみんな丸写ししてしまうすざまじい偽物も中華民国期にはあって、まあこういうのは、本物が消滅してしまったあとでは、ある種の資料にはなるわけである。

 いまや原発報道で悪名を馳せ、信用失墜した感のある東大の、小川教授などがとりあげていた 米友仁「雲山図巻」(クリーブランド美術館)http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/9f/Cloudy_Mountains1.jpg
にも重要な疑義がある。

 肝腎の米友仁の題字が真蹟ではないようにみえるのだ。他の米友仁書と比較した表を1998年に作って確信した。字形書風がかなり違う。また、北京・大阪・上海の共通性がめだつ。北京の図巻は実見したとき、本体の絵は模写のようだが、跋はひどく傷んで紙質も違い真蹟にみえた。上海の図巻は絵・跋ともに良いようだ。大阪のは断片の切り貼りみたいだが一応古い。
 その後、某教授にも表を送って意見を乞うたが、賛意を得ていた。じゃいったいクリーブランドの題は誰が書いたんだ。また絵は誰が描いたんだろう?

  ひさしぶりにノートをひっくりかえしてとりだしてみた。今ならもっときれいな図版で作成できるだろうが、忘れてしまうといけないのでアップしておこう。

 この絵では自題の位置が他の米友仁画と比べておかしい。他のは大抵絵のあとにあって絵の上にはない。大阪市立美術館のものは明らかに切り貼りしたものだ。もとは絵の後ろにあったのだろうし、絵自体断片のようにみえる。

クリーブランドの雲山図巻は自題が失われたので、オリジナルの文から写して書いたのか? 絵も含めて後世のものなのか?どうもわかりにくい。どちらにせよ米友仁の基準作にはすることはできないだろう。

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by reijiyam | 2011-10-23 12:31 | ニュースとエッセイ | Comments(0)

天寿国繍帳と敦煌写本

 中宮寺の天寿国繍帳について、敦煌出土の隋時代の写経奥書に「天寿国」という用例があるという説がNHKなどでさかんに吹聴されているようだ。実はこの写本もしくは奥書が偽物であるという疑惑が大きい。最低でも「无(無の略体)寿國」と読むのが普通だろう。それなのに軽々しく吹聴するNHKの無教養・節度のなさはあきれかえるばかりだ。

NHKに騙されている人が多いので、
ウィキペディアのノート:天寿国繍帳 でも 洗脳された人と議論しなければならなくなった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E5%A4%A9%E5%AF%BF%E5%9B%BD%E7%B9%8D%E5%B8%B3


最近、オリジナルの行方という本に
http://heibonshatoday.blogspot.com/2010/03/blog-post_12.html

また、この偽写本?の問題がでたが、写真図版がないので議論が空回りしやすい。

できるだけ大きな図版を紹介してみる。

三井文庫で実際に観察したときは、とにかく紙の色が不自然だと感じた。
また、本文は北魏延昌2年の経典で、それを隋時代に法会で読んだときの奥書である。
北魏延昌2年の経典というのは敦煌写本にかなりある。ただ、これは一紙の行数が異例であり、延昌2年の写経生の奥書もまた異例である。おそらく大谷大学にある華厳経のようなものを模写したのではないか?


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by reijiyam | 2011-10-07 07:48 | ニュースとエッセイ | Comments(0)

間違えてる器形拓

 中国清代後期に 僧侶:六舟達受が開発したという、器形拓という拓本のとりかたがある。
一種の絵画なんだが、古器物の各部分を拓本にとって、それを組み合わせてその古器物の絵のようにしたてる。全部を真っ正直に拓本にとるのは無理であるから、あちこちごまかしてなんとか形をつけるわけである。なかには、器物がないのに拓本だけそれらしく作って売るという荒技もある。これも偽物と思えばともかく、独自性のある芸術と読み替えることもできよう。伊藤若冲は拓本で絵画をつくる拓画などを提唱したこともあるようだ。
 私のHPの頭に使っている器形拓は、元オリンピック委員会IOC会長ブランデージ氏のコレクションにあった青銅器の爵である。

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ところが、現物の写真と比較してみると、



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微妙に組み合わせが間違っている。
画像ソフトで訂正すると、

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器形拓は組み合わせによって作っている証拠でもある。
by reijiyam | 2011-09-03 15:18 | ニュースとエッセイ | Comments(0)

徽宗皇帝 文會図  質問への回答

 書画記には、董其昌の箱書きがあった記録があり、董其昌は、陸大宰→ 胡宮保→ 項篤寿→ 厳嵩→ 政府没収→ 朱大尉→ 項子京 という伝世を記録してます。
 
e0071614_1634694.jpg 張丑『清河書画舫』燕字号 (巻六下 は特定の刊本の分け方です、古い版本には巻号はありません)には、
   「厳嵩が失脚して財産没収されたもののなかにあった。」としてありますから台北本と同じものでしょうし 文嘉が厳氏書画記にのせた「文會図」とも同じでしょう。

 その後、索額図->アーアルシープ->耿昭忠->耿嘉さ となっています。この伝世経路については
 Marshall Wu, A-er-shi-Pu and his painting Collection,
 Li Chu-Tsing ed. Artist and Patrons University of Washinntong Press. 1989 p61-74に所収

 ある時点で周文矩作品から徽宗皇帝作品ということになったのではないかと思います。徽宗皇帝画院で、古画から抜粋して模写した作品は、ボストン美術館の搗練図巻のものや遼寧の虢国夫人遊春図巻がありますから。そういう性格のモノだった可能性が大きいですね。はるか昔には「天水模周文矩文會図」というような題箋があったのかもしれません。
当方が納得したのは徽宗皇帝時代から既にかなり模本的性格があったのではないか、ということで、現在の画面の印象がなんとなく理解できたからです。

 ただ、古原宏伸さんのある論文(典拠は記憶がとんでいます)に 手巻型の文會図をあげて、もとは巻子本でそれをあの形にしたのかも、という推測もありました。

 耿昭忠は軍人職なのに、ヘンという感じもありますが、清末太平天国の乱で死んだ画家 湯雨生も将軍でしたからねえ。あまりこだわらなくてもいいのかもしれません。
by reijiyam | 2011-09-01 21:07 | ニュースとエッセイ | Comments(0)

徽宗皇帝 文會図

 明末清初の古美術商 呉其貞の書画記は、昔と違って、比較的入手しやすくなった。新世紀万有文庫にはいったからである。この本には、ときどき現存する名画名跡とおもわれるものが記録されているので面白い。あまり古い本の場合は一点も現存するものがなかったりする。そうなるとまったく面白みがないが、この本は違う。
 第二巻に周文矩 文會図 大絹画 1幅 というのがある。どうもこれは現在台北故宮博物院所蔵の 伝 徽宗皇帝 文會図 のことらしい。

 つまり、これはもともと古画・もしくはその模写であって、そのうえに徽宗皇帝と蔡京の題があるのである。ただ、これら全部が更に模写である可能性もある。

 この絵は手前で北宋風の陶磁器の水注を火鉢に直に突っ込んで暖めていたりする光景があったりして、なかなか風俗的にも面白いのだが、一見するとオリジナルな絵にはみえない。もともと模写というスタンスでみれば、なんとなく納得がいくものではある。

 もうひとついうと、写真でみる横縞がなになのか?痛みにしては剥落に対応していないし、ひょっとしたら、絹自体の織り方が違うので綾のようなものなのかもしれない。




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by reijiyam | 2011-08-29 08:37 | ニュースとエッセイ | Comments(2)

正倉院の雑伎団

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古代中国の雑伎については、画像石などの図像資料もあるが、正倉院の弓に黒漆で描いたものも有名である。漆絵脱弓 (中倉169)。弓の表に鼓楽技曲の図を描いてある。
もとの写真図版があまりよくないのだが、著作権がきれた 明治時代の宮内庁, 東瀛珠光, 審美書院, 東京, 明治41年 からとらざるをえないので、了解されたい。

こういう曲芸は、散楽と呼ばれて平安時代まではよく演じられていたらしい。

信西入道古楽図というのも、模写本で伝わっている。信西という伝承が正しければこれは12世紀の散楽を伝えるものであろう。

東京芸大のサイトに
東洋画模本 - 2118 [19759]
信西古楽図
(模本制作)藤原貞幹 (-)
というのがある。

http://db.am.geidai.ac.jp/object.cgi?id=19759
by reijiyam | 2011-08-15 07:32 | ニュースとエッセイ | Comments(0)

富春山居図 剰山図の加筆

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 それにしても、剰山図のひどい虫喰いをみると、剰山図への加筆は、かなり後世18世紀ぐらい以降に繰り返しおこなわれたものではないか?と思います。なぜなら、このひどい虫喰いは無用師巻には、めだたないからです。修理かとおもいましたが、そこまでひどい痕跡は無用師巻にはみえません。
 とすると、1650年ごろ離れたあと、呉其貞のもとにいったときにはまだ虫喰いがあまりなかったということになります。加筆は虫喰いの上にあるものもありますので、少なくともその部分の加筆はその時点からそうとうあとに実施されたもののようにみえます。呉其貞は骨董屋さんで、しかも剰山図の価値を高く評価してましたから、虫喰い放題にするようなことはなかったでしょう。財産ですから。従って虫喰い更に加筆が呉其貞よりずっとあと2世代以上あとに行われた、と推察できるでしょう。
by reijiyam | 2011-08-06 10:07 | ニュースとエッセイ | Comments(1)