カテゴリ:蔵書( 135 )

朱曼妻買地券 再

まえ、アップしたが、もっと良いイメージを作成したので再度アップしてみる。
朱曼妻買地券
http://reijibook.exblog.jp/937665/
神州大観 10号( 1916年6月20日)のコロタイプ図版がソースだが、
そこに添えられた  トウ実氏の記録によると::
 光緒庚子に浙江省平陽県南郷鯨頭村石峯下山麓で、村長が墓を作っているとき出土、村人の陳公翰君がわたしにこの拓を送ってくれた。その後行方不明になった。

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by reijiyam | 2011-10-29 16:27 | 蔵書 | Comments(0)

抱残守欠 宣和畫譜

抱残守欠っていうのは、「旧習にとらわれ新しいものを受け付けない」という悪い意味らしい。ただ。明末清初の顧炎武に漢儒が断片も大事にして古代文献を守った良い意味で使っている例もあるらしい。
 当方としては、清末としては進歩的だった劉鐵雲が抱残守欠斎を名のった先例に従いたい気分だ。
 そういうスタンスのためか、また高価な完本を買う金がないせいか、貧架には残本端本や残本を修理したものが多い。どちらかというと完本のほうは古本屋に売ってしまいがちで、自分が修理した本は愛着があるので手元に残しがちである。また、自分が修理したものには、まあ少しは伝世に貢献しただろうから、という意味で蔵書印を押すこともある。


例えば、この、
宣和畫譜 は巻頭が何頁もなくなっていたので、巻頭は中華民国期の箋紙で宋版本を木版影印したものがあったのでそれで補った(橙色の紙)。その後の頁は、東京の有栖川図書館にある別本から文章をメモして、改めて他の本から自分で筆で写して補った。少しは様になったと思う。


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by reijiyam | 2011-10-20 09:16 | 蔵書 | Comments(1)

正倉院雑談 その1

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  正倉院の生き字引といった感じだった松島順正氏からの聞き書きを松本楢重氏がまとめて、松島氏に校正してもらって出版した本がある。この正倉院雑談、昭和23年、奈良観光事業株式会社出版部である。
  このなかで、昔、御物の修理に携わっていた人の話がでていた。こういう人のことは、忘れられやすいので、あえて記録しておきたい
**2012-03-03の追加

この正倉院雑談 初版は、昭和23年、奈良観光事業株式会社出版部 なんだが、1989年に学生社で「正倉院よもやま話」という名前で複刻したことがあるらしい。まあ、もう少し良い紙と印刷だろうと思う。

正倉院よもやま話
単行本: 243ページ
出版社: 學生社 (1989/05)
ISBN-10: 4311201389
ISBN-13: 978-4311201387

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奈良帝室博物館では明治43年から聖語蔵経巻の整理修復に手をつけたが、大正3年になって、東京でやっていた整理修復も一切奈良側で引継ぐことになり、現在の奈良國立博物館事務所構内本館南側の1棟がその事務と作業のため新築されたのである。


聖語蔵経巻修復は、奈良多門町の士族から経師屋になった西山定郎という人が年俸二四〇円と修理材料費年百円の予算で実際の作業を受け持ち、昭和13年まで続けて来たが、防空演習に出て風邪をひいたのがもとで死んでいったのは気の毒だった。
古裂の整理は経巻修理の西山さんも手伝って、粕谷某と最近まで従事していた廣岡徳松氏が女の助手一人を混へて仕事をはじめた。今日までに足かけ三十何年かかって。唐櫃十八合分の整理を終わったが、なほ未整理の分に唐櫃三十合ほどと、箱入りの分八つを残す。


(古裂の整理)
 大正三年奈良帝室博物館がこの大事業を開始して以来、足かけ三十五年終始古裂と取り組んでいたのは廣岡徳松さん一人、続いて勤続二十年目の藤田うの さん、他に大正九年から昭和二十年まで二十六年間を勤続して老境に入り、お暇をいただいていった坂本ちくさんのごときは、そのかくれた功績を正倉院古裂の名とともに記録すべきだと信じる。
by reijiyam | 2011-10-02 14:56 | 蔵書 | Comments(0)

よくみる図版だが

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  漢文関係の本、論語とか十八史略とか孫子などの本の表紙や図版に、昔は、しばしばこの画像石?の拓本がのったものだ。ところが、この拓本、原石がどこにあるのかわかならいし、まともな拓本自体少ないようだ。どうやら 古い時代の「漢画」などの石印図録になっていたので、結構流布したが、孫引きをくりかしているうちに、もとは何なのかわからなくなっているということらしい。拓本で測るとサイズは高さ16cm長さ35cmぐらいである。たぶんサイズすらしられていないと思う。
  清時代末期に、北京の骨董屋 尊古斎にあったものだ。
 どうも画像石でなく画像セン(レンガ)であるという伝承があるようだ。ただ、こういう画像センってあまりみたことがないな。

 
by reijiyam | 2011-09-23 11:19 | 蔵書 | Comments(0)

満州国立博物館

昭和10年12月1日発行 書道  第4巻第12号 
34-39p「新設なれる満州国立博物館について」岩村成允

 これを読むと
 1。満州国立博物館は遼寧省博物館の母体である。
 2.ラストエンペラー溥儀は全く協力していない。

この二点に驚かざるをえない。

 
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by reijiyam | 2011-08-20 10:11 | 蔵書 | Comments(0)

鄭板橋集の不思議

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  東京神田神保町の 漢籍専門書店  山本書店にずっと店晒しになっていた板橋集があった。虫食いもあったが、和刻本ということだったので いまいち人気がなかったのだろう。(上)
  東京を離れる前に、酔狂にも買っておいた。東京国立博物館にある墨竹屏風の題との関係も調べておきたかったからだ。さてもともと和刻ということだったので、慶應元年に京都で刊行されたものだとばかり思い込んでいた。ところが最近、ヤフオクで京都版をみてにてもにつないものであることがわかり、じゃあこれはなんだ?
 大陸のオークションででた乾隆原刻本の写真(下)をみると異常に似ている。枠線の切れ目まで似ている。ただ、紙は黄色い和紙のようにもみえるし、極僅かな違いはあるような気がするのでますますわからなくなった。
 清時代の官僚、画家 書家であった鄭板橋の詩文集:板橋集は石印本のほうが流布しているので、刻本はあまりみうけない。
by reijiyam | 2011-04-16 17:20 | 蔵書 | Comments(0)

三国志呉志残巻公開記念

1月8日から京都国立博物館で、三國志呉志残巻が公開されています。これは羅振玉の漢晋書影に収録されていたものですが、個人コレクションだったこともあり、あまり公開されたことはありません。
 なんと、朝日新聞社主 上野家のコレクションだったのですね。ちょっと驚きました。上野家にはまだ他にも珍品があるような気もします。新聞人のくせに公開しようという気がいままでなかったというのはどういうこっちゃ。。。
 当ブログでも
2005年12月に三國志呉志残巻 として一部を紹介しましたが、少し大きなイメージを提供したいと思います。なお、この連れにあたる断片が上野の書道博物館にあって、それは観る機会がありましたが、今回の展覧会では並べて展示されるようです。
その断片については、二〇〇七年に書きました。
台東区書道博物館の 三国志断片
しかし、これほど魏の鐘元常の書を連想させる発掘品もないと思いますね。
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by reijiyam | 2011-01-16 08:58 | 蔵書 | Comments(0)

宇多天皇 周易抄

この宇多天皇の自筆メモは、書道史の本にでることはでるが、良い図版がでることは少なく、習われることが少ないせいか複製もあまりでない。一部に草仮名を使ってあるので仮名の歴史の例としてわずかに取り上げられるくらいだ。(第一のイメージの左下 左上など)
 まあ、目が覚めるような上手さや奇抜さなど全くない、メモ、率意の書なのだから無理もないが、かなり冷遇されていると思う。
 この書をみているとその五〇年あとの小野道風の書風を思い出すところがある。おおぶりで大きく回ったような筆使いをするところが、道風のいわゆる和洋漢字に似ているのだ。菅原道真を起用して遣唐使を廃止したり、和歌を振興したり、かなり国風文化の天皇であらせられたから、和洋漢字の先駆の風がある、というより当時の書家のなかで天皇の好みにあう人の書を習ったのだろうから、当時の流行をリードした功績があるのかもしれない。道風の和洋漢字というがいきなり出たものではない、という証拠でもある。


宸翰集
宮内庁蔵版:臨時東山御文庫取調掛謹輯
京都 小林寫眞製版所 出版年 1927.12

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by reijiyam | 2010-12-18 09:07 | 蔵書 | Comments(1)

奈良八景の墨

2005年九月に古梅園墨譜 後集 というのを書いて、南京八景墨を紹介したが、今みるとイメージの質が悪く、感心しない。
新たにアップすることにした。
 この 安永年間に刊行された古梅園墨譜 後集 の原刊本は最終巻一冊が欠けていて、痛みもあるがとにかく原刊には違いない。ここでは、「南京八景」となっている。

一般の奈良八景は、
 (1) 東大寺の鐘
 (2) 春日野の鹿
 (3) 南円堂の藤
 (4) 猿沢池の月
 (5) 佐保川の蛍
 (6) 雲井坂の雨
 (7) 轟橋の旅人(行人)
 (8) 三笠山の雪
の順だが、これではちょっと違う。

こういうセット墨を作って奈良のお土産にだせばうれるんじゃないかなあ、と思ってはいる。

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by reijiyam | 2010-12-12 09:02 | 蔵書 | Comments(0)

マタイ受難曲LPのリブレット

LPのころは、大きなリブレットを入れようと思えば入れられたので、2枚組以上の函の場合、中にはとんでもない豪華なリブレットがはいっていることがあった。
これはアーノンクール盤のマタイ受難曲LPにはいっていたリブレットで、それほど厚くはないが紙質もよく、バッハの自筆(または近親者による)マタイの楽譜が写真ではいっている。
 表紙の写本図版は有名なベルリンにあるやつだろうが、 ちょっと興味をひくのが3Pにあるイメージにあげた楽譜である。一番上にコーラス sg ソプラノ イン リピエノ とはいって、例のO Lamm Gottes unshultigという最初の2重合唱の、現在では普通ボーイソプラノのコーラスで歌われる部分が書いてある(あとで調べたらこれは1740ごろ作成のパート譜の一つ、なぜか1738年ごろのベルリンにある総譜にはこの部分自体がない!)。アーノンクールの記述では、これは1741年以降に書かれたものらしいが、作曲者の最終稿を決定版として採用するという原則にしたがえば、ここでソプラノ合唱をいれることはおかしくなく当時簡単に使えるソプラノ合唱としてボーイソプラノをいれることはおかしくない。勿論、1730年代の初稿では、このコラールはむしろオルガンで演奏されるようになっていたらしい。
 一九世紀のバッハ復活時に、だれかがボーイソプラノをいれることを考案したという意見はどうも疑わしくおもわれる。不勉強なので、磯山氏などの専門書を借りて来て読んでみようと思っている。

 このニコラウス・アーノンクール(Nikolaus Harnoncourt)という読み方は、これでいいのかな?何か仏独混合のように思う。まだ生きているのだから、名前の読み方をきいておきたいものだ。フランス式なら、ニコラ アーノンクールじゃないかな? ベルリン生まれでヨハン大公の子孫だとすると、 ドイツ式でニコラウス・ハルノンクーツかしら?

SAWT 9572/75という4枚組に付属 1974 Feb TELDEC TELEFUNKEN-DECCA Hamburg

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by reijiyam | 2010-12-08 09:03 | 蔵書 | Comments(0)