カテゴリ:蔵書( 135 )

残本・零本・端本・不全本 その1

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  まえ、宣和畫譜で欠失部を補う修理の例を出した。
抱残守欠 宣和畫譜 http://reijibook.exblog.jp/16049458/

しかし、全くの、零本、何十冊のうち1冊だけ残った本でも、結構面白いので持っている。このようなものは古本としては絶対売れないので、かえって純粋な楽しみで読書できるものだ。


御定歴代題畫詩類 第32-41、故実類
 どうもこれは、乾隆内府精刻本というものらしい
  内府本にしては地味な竹紙である。
  24.5x16cm

  全120巻 冊数としては20冊ぐらいのものの1冊だけがある。


  古画の題跋や賛を集めてあるのだが、現実に絵画本体にあたったわけではなく文献から集めたもののようにみえる。
  絵画本体が模写や偽作である可能性もあるのだが、歴史のある時点でそういう絵画があったという想像の資にはなる。


 
by reijiyam | 2012-08-22 09:19 | 蔵書 | Comments(0)

俵屋宗達の資料

一条兼遐書状( 後水尾院勘返状)』の出現は、戦後すぐでした(森暢「宗達の一資料」『大和文華』第一号  昭和26年6月::

寛永7年。一条兼遐が後水尾天皇に少年の元服についてと宗達に注文した屏風のことを質問し、天皇が禁中の後文庫から返事を手紙の上に書いておくりかえしたものである。昔の手紙ってメールの返信みたいだね。

その後、あまり宗達の良い資料がでていないようだが、この書状にある 楊梅図 あるいはその模写本が残っているという記録が  林進::日本近世絵画の図像学 にあるらしい。。

ただ、この手紙の図版は実はあまり良いものはない。大和文華』第一号のものからイメージにしておきます。

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by reijiyam | 2012-06-27 09:53 | 蔵書 | Comments(0)

佛足石歌碑の拓本

 日本古代の金石の拓本にも、重刻というか偽物というか、そういうものが結構あるようだ。
 佛足石歌碑 の拓本はもっていないんだが、古い石印の原寸大 複製がある。もちろんこの複製自体が偽物ってことも考えられるが、最近、できの悪い偽物のようにみえるものをネットでみたので、ここで、同じ場所を並べてあげてみる。こっちは手で模刻したものではなく、写真技術を併用したんじゃないかなあ、と思った。
 文字や線はそっくりだが、石の凸凹による濃淡・影がない。

   
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by reijiyam | 2012-06-09 20:18 | 蔵書 | Comments(0)

本物らしい法隆寺金堂釈迦三尊光背銘拓本

日記の2011年04月26日に
法隆寺の拓本の真偽
http://reijiyamashina.sblo.jp/article/44552883.html
という記事で、貧架の拓本はわりといけるかもしれない、と書いた

2011年4月30日に法隆寺大鏡のコロタイプ写真をアップしていた。
法隆寺の拓本のもとは
http://reijibook.exblog.jp/14693516/

再度、現物写真と詳細に校合した結果、本物だろうと思うようになった。

その理由は、まず2行目下部の「上宮」の宮の右脇に曲がりくねった傷があるが、これが一致していること。

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もっとも、文字に近接した破損は亜鉛版や模刻でもしばしば忠実に再現することがある。
そこで、更に確実な証拠として、4行目末尾の「深」の右脇にある長方形の短冊のような跡がある。これはおそらく鋳物にいれた支えの跡で、他所にもあるが、拓本にはほとんどでないのだが、ここに限ってはかろうじて拓本にでている。こういうところまで再現することはまずないので、一応信用することにした。

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by reijiyam | 2012-05-15 07:16 | 蔵書 | Comments(0)

阮元の高弟所蔵の金石

 最近、某サイトで阮元の高弟  陳経が自分のコレクションを図示した求古精舎金石図という本の(嘉慶18年序)のイメージをみた。

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 これは、1世紀ごろの文字入りレンガの文字を模写し木版画にしたものだが、まさに同じもの、それも木版ではなく陳経自身が採った拓本が貧架にある。

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 「陳経」の印もある。この拓本を収録した冊には他にもレンガ文字の拓本があり「求古精舎」という印もあるものがあるので、嘉慶ごろ、陳経の手拓を多く含んでいるものであることは間違いなさそうだ。私は、この冊を、仮に嘉道名流蔵セン と名付けているが、この名を確実にして良さそうだ。

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まあ、こういうレンガの文字というのは、当時の公文書や手紙の文字と違ってかなりレタリング的なものなので、こういうので書道史を構築したんじゃいけないのだが、嘉慶道光ごろでは、西域出土残紙も呉の木簡もないので、こういうものから王羲之時代の書を想像したりしたわけである。

その結果が 阮元の大胆な理論や李文田の蘭亭偽作説になったわけで、それはそれで研究史として非常に面白いものである。現在もまたなんらかの誤解・情報の歪みにおちこんでいるのかもしれないと自戒するところではある。
by reijiyam | 2012-04-06 10:23 | 蔵書 | Comments(0)

仏日庵公物目録

この鎌倉円覚寺にある佛日庵公物目録は、南北朝時代貞治二年同四年 足利義満が将軍になる少し前の記録で、
日本における中国絵画・器物・古陶磁・漆器・唐物の研究にはよく言及される文献である。

鎌倉遺文 には入っているのだろうが、 [昭和8] 刊(コロタイプ).巻子本から、全貌を紹介してみたい。

ネットでは、活字での紹介もないと思う。


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by reijiyam | 2012-03-04 14:14 | 蔵書 | Comments(0)

蘿軒變古箋譜

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明時代末期  天啓6年の序があるこの本は2冊完本(たぶん)が上海博物館に1963年に入った。
 木版画で制作した模様や絵のある便箋のサンプルを集成して本にしたものである。

従来、知られていたのは 東京芸術大学にある下冊だけの1冊で、大正12年に大村西崖が図本叢刊の一つとして複刻した(上のイメージ)。この複刻はなかなか良いもので、浮世絵の伝統の上に立って刻工、印工の名前まで入っている。大村氏邸宅は今の神楽坂近くにあったようだ。
この大村西崖氏については、矢代幸雄氏が「忘れえぬ人々」というエッセイ集の一つに生き生きとした思い出を書いている(矢代幸雄著作集に収録)

大正12年1月10日印刷15日発行
大村西崖
   東京牛込矢来町3
刻工 前田賢太郎
印工 本橋貞次郎
 東京京橋銀座3丁目20


ここで、この本に付属したチラシを紹介しておく。こういうものは散逸しやすいものだ。

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 この蘿軒變古箋譜は一部にエンボッシングを使って模様を表している。例えば上の絵の真ん中の鳥はこうだ。

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  また、こういう容器をさりげなくエンボッシングしているのが上品高雅である。

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ところで、大村氏は蘿軒という号から康煕年間の翁嵩年と考えていたのだが、実は上冊には、天啓年間の序があって、呉發祥 の作だということがわかった。同じ蘿軒という名前を使っていたので間違えたのだ。呉發祥 自体、南京の地方の記録にしかでてこない人であったのだから、間違うのも無理はない。

2冊本を収蔵してる、上海博物館も複刻本を出版している。大きな本だったし高価でもあったので、入手してはいないが、ちょっと派手な色になっている。ただ、現在ある本は、350年以上の時間で染料顔料が褪色しているだろう。そういうことを考えると上海がかなり派手に再現したのも間違いとは言えないのかもしれない。

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一方、上海博物館では、蘿軒變古箋譜の一部を使って、本物の使える箋紙を発売したことがある。
これは友人が買ってきたものだが、少し強引に奪うようにして譲ってもらった。
あまり手の込んだ頁ではなく、簡単な動物のところだけを使ったものだが、箋紙そのものなのが嬉しいものである。
by reijiyam | 2012-02-20 09:46 | 蔵書 | Comments(0)

五首一紙

手本用にイメージをあげてみた。

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by reijiyam | 2012-01-03 14:09 | 蔵書 | Comments(0)

嵩山少室闕の残字

 どうも、色々調べた結果、校碑随筆には「前十七行があるが。黄易本で上部4,5字がみえ、下部に半字が十字みえるだけ」張彦生「前三十行あるが摩滅」ということらしい。 
最初のイメージが通常の冒頭部分、二番目と三番目がそれに先行する摩滅剥落して字が殆ど無くなっている部分、一番下に字があるようなないような状態だ。これが「半字が十字」というやつであろう。

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京都大学人文研の拓本
 http://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/db-machine/imgsrv/takuhon/type_g_b/html/d02-12.html
 http://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/db-machine/imgsrv/takuhon/type_g_b/html/d02-13.html
でも、この摩滅剥落した部分が少室南面の一部としてあげてあるので、他の碑からもってきたわけではないようだ。また、京大本の一番目には更にボロボロに剥落した面に数字あるようなないようなものがある。

  藝苑真賞社の古鑑閣本影印本は書跡名品叢刊に転載されているものであり、一般に普及している。ところが旧拓らしいのに冒頭の「半字」は収録されていない。他の書道全集・中国美術全集本などみなそうである。むしろ清後期以降の新しい拓本のほうがこの部分を丁寧にとっているものがめだつようである。
 どうも古い時代には黄易のような篤志家研究者以外は、主要部分だけ採拓して満足したらしい。他は紙がもったいないし面倒なのでやらなかったのではなかろうか。
by reijiyam | 2011-12-10 09:52 | 蔵書 | Comments(0)

抱残守欠 石門のマイナーな漢隷磨崖

石門頌や開通褒斜道刻石で有名な石門の磨崖に、

  李君通閣道磨崖、あるいは右扶風丞[木建]為李□表という磨崖刻石がある。一応石門十三品にはいってはいるが、摩滅がひどい上にあまりマイナーなのでろくに影印もないぐらいである。
なんで、こんなものに興味を持ったかというと、昔、タダでもらった拓本があって、これが清末の呉大徴がこの刻石を重刻したものの朱拓であった。ずいぶん汚れた装幀だったのでやっかいもの扱いだった。重刻のうえに傷んで汚れていたのであまり珍重されなかったんだな。長崎にきてから、ようやくこのような折り本仕立てにしてようやく捨てられる危険からは逃れたといえる。
 呉大徴は現地で刻石をみ、蘇州で自ら重刻したぐらいだから、かなりいれこんでいるのだろう。楊淮表記のような感じの字ではあるが、かなりたよりない。


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最近偶然入手したこの原拓もある。いうまでもなく、重刻もってなきゃわざわざ入手はしなかっただろう。
 こちらでは上にある線の上に1字文字がある。「表」のように読めないこともないので、増補校碑随筆は「額がある。額は『表』字だけが残っている。」と書いている。この「表」字を根拠に名称を「右扶風丞李[木建]為李□表」としている。

 ひどく摩滅しているので、重刻や釈文を頼りに読むと、なんとなく読めるようなきがする。これも本末転倒といえばそうだ。

増補校碑随筆では「壊れた」と書いてあるが、漢中博物館に移設されているようだ。ただ、現地の研究者らしい鄭榮章の本では上の『表』1字については何も書いていないので、ひょっとしたら移設のときかそれ以前になくなったのかもしれない。それを考えるとこういう旧拓の価値もないとはいえないだろう。


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by reijiyam | 2011-10-30 08:19 | 蔵書 | Comments(0)