2015年 03月 29日 ( 2 )

玲児の中国絵画入門 4 吉村 貞司の煽り




大学の教養部のころに、中央図書館でレポートの参考書を漁っていたとき、

吉村 貞司: 中国水墨画の精髄―その逸格の系譜 (1978年) をみつけた。

吉村 貞司 (よしむら ていじ、1908年9月24日 - 1986年1月4日)は、日本の文芸評論家・美術評論家で著作集まで刊行されているようである。
この東文研のデータがわりとよくまとまっている。
http://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10274.html

この本は後半部は中国絵画じゃなくて日本画や日本の画壇のことが書いてある。

この本は、煽りの多いプロパガンタ的な本だが、フランスの5月革命以降学生運動があった当時ではさほど違和感はなかった。梅原猛すら文化大革命を評価して「倫理性の回復」とか美化した文章を書いていた時代である(REF 哲学の復興 講談社)。

 優れた画家は、皆、体制に反抗して山中に隠棲自給自足をしながら自然を観察して名画を描いた、ということになっている。また清初の画家たちは、皆、反清運動の闘士で、絵画に政治的反抗を秘めたということになっている。正直言ってデタラメな本であるが、2つ とてもいいことが書いてある。


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 五代北宋時代の荊浩、関同、范寛、許道寧の作品がいかに素晴らしいかを力説し、范寛の渓山行旅図(台北國立故宮博物院、イメージ)の良さを示してくれたことである。特に右下、極小さなロバのキャラバン・旅人たちの列(CLICKして拡大しないとみえないと思う)に注目して、この巨大な山岳の空間性を認識するように誘導したことがありがたかった。前回のサリバン先生の本では右上の滝に注目しているが滝の描写は日本絵画にも多いのでさしたるものとは思わなかった。この吉村氏の本で、私も渓山行旅図をみてみたい! という気になった。入門書というのはこういう気持ちを起こさせるものではないだろうか? そういう意味で間違いだらけでデタラメの多い本ではあるが、私には役に立った。

 もう一つよかったのは、明末清初の新安派の画家 戴本孝(1621-1693)を紹介してくれたことだ。このぼやっとした特異な表現方法は興味深い。この本で紹介していたのは、米国の翁萬戈コレクションの画册の一つだった(下)。中心部の巌窟に座った人を描いているところから、画家の孤独と隠れ潜む心情を推定しているのだが、他の絵をみてみると、もっと開放的な作品や色合い豊かな作品も多く、決めつけはよくないなあ、と思うところである。しかしながら、吉村氏が注意しなかったら、この 戴本孝に注意することはずっと遅れただろう。ちなみに京都国立博物館の西上実氏は中國繪畫史論集 : 鈴木敬先生還暦記念の中で「戴本孝について」という専門論文を書いていて私もコピーをとって珍重していた。


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 この本のさらなる欠点としては、やはり鑑識が甘く、故宮名画300種とかいうような古い図録の画家名同定を鵜呑みにしていることだ。例えば、この本に北宋山水として図版となっている下の伝許道寧の雪景 も十七世紀以降の模倣作である(台北國立故宮博物院)。



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by reijiyam | 2015-03-29 12:08 | 中国絵画入門 | Comments(3)

玲児の中国絵画入門 3 本を読んでみた

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 今日でもそうだが、1970年代では、なかなか中国絵画の専門書はない。

で、1970年代後半の当時、たまたま、

下店 静市(しもみせ しずいち、1900年2月16日 - 1974年6月26日)の
支那絵画史研究 (富山房 1934年)を読んでみた。

なにせ「支那絵画」の専門書というのだから、期待したのである。ところが、分厚い割には、魅力的な図版が少ない。まあ、戦前の出版でモノクロなんだからしょうがない。しかしもっと違和感があったのは、「唐宋の絵画」を異常にもちあげ、元以降を「堕落」としてけなす姿勢である。清の王原祁なんてボロボロにけなしている。まあ、現在の私も王原祁をそう好きなわけではないが、そこまでいわなくても、という感じがする。


 だいたい、絵画の本を読むというのは、魅力的な作品を知りたいというのが動機の一つだろう。それが、あまりない。だいいちその素晴らしい「唐宋の作品」で感心できる作品があまり紹介されていないのだ。唐時代の有名画家の作品なんか何も残されていない、というのだからしょうがないが、宋時代の作品もたいしたことがない。作品がないのになんで「唐宋」の作品を褒めることができるのか不思議という他はない。存在しない「唐宋」の作品をほめあげ、一応存在する「元明清」の作品をけなすというのは、戦前の中国絵画の記述の通弊で、「絵画のない文献だけの美術史」などといわれたものである。それでも、この本の中で、一つだけ魅力的で、よく覚えているのが、現在、台北の國立故宮博物院にある 伝燕文貴 秋山琳宇 図(165x58cm)で(イメージ)、これは著者:下店 静市氏も北宋時代の傑作として、最高級にべた褒めしている。ところが、現在ではこれは十七世紀の模倣作・贋物ということになっていて、ほとんど展示されないのは残念だ。絵としては面白いのだから、なんとか救いようがないかなと感じるところである。


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このころ、図書館で借りて読んだものに、

中国美術史 (新潮選書) 1973/9
マイケル・サリバン, 新藤 武弘 (翻訳)

がある。現在もっている本(イメージ)は、ずっとあとで東京で買った。「諸橋蔵書」の印がある本だから、あの大漢和の著者の所蔵本かもしれない。

これはオックスフォード大学のサリバン先生による中国美術史 の定番本の翻訳で本当によくできている。多少の補遺で現在再刊しても充分役立つ本だ。新潮社には再刊を要望したい。 翻訳の底本は、1973年版の英語版とほぼ同じもの(図版は違う)である。実はサリバン先生が直接訳者に送った原稿なので 文章も1973年版本と絶対同じかというと違うところがあってもおかしくないが、読み比べるとほぼ同じといっていいと思う。

当時は、実はざっと読んだだけだったように思う。一見、平凡な概論書・教科書にみえるこの本の結構深い面白さを全部吸収したとはいえない。どちらかというと絵画部分ばかり読んでいたような記憶がある。

 かなり影響を受けたのは、贋物・模倣作・補修の鑑定が重要で、充分批判的にならないと研究自体なりたたない、という示唆である。

たとえば、、

234p> 現存する古典的絵画の多くが、様々な過程を経て原本か模本かを知るすべもなくなっており、せいぜいある画家ないしある時代の画風を示しており、本物とみなせるだけ古そうで質もよさそうといえるくらいである。時には、あとから同じ絵のもっと調子の優れたものが出現してはじめて模本とわかることがある。この分野では鑑定は最も難しく、いまだかって騙されたことのない専門家はなく、近年の欧米における傾向としては、中国人や日本人の鑑識家にばかり頼っていられない気持で過剰な注意を払うようになってきている傾向にある。

295p>かれ(仇英)の見るからに楽しい絵画は中国でも西洋でも愛好され、そのためもあって中国美術史上で王石谷に次いで贋物の多い作家であるといえよう。

329p>王石谷は前代の巨匠たちを模倣することにとくに才能を発揮しており、台北國立故宮博物院やそのほかのコレクションにある五代や北宋の山水画のうちのかなりのものが、かれの作品であることにほぼ間違いない(おそらく、上記の燕文貴もその類だろう)。

 別にサリバン先生は奇矯、激烈な批評家でもなんでもなく、穏健で、むしろ点が甘い英国紳士オックスフォードの教授なのだから、いかに中国絵画の世界がすざましいものかがわかる。

 こういう記述を読んだ後では、鑑賞の仕方が大きく変わるはずである。
 しかし、ナイーブな学生は、まだまだ、そこまで徹底しなかった。

by reijiyam | 2015-03-29 05:47 | 中国絵画入門 | Comments(0)