三体石経 の発見

  魏の三体石経が最初に発見されたのは、光緒22年のことだったそうですが、そのとき発見された断片は、山東省の黄県 丁樹楨 に買われて後、どうも行方不明のようです。羅振玉によると、当時、拓本が1枚1金とか十金とかえらくぼった値段をつけていたようです。その後、もと大きな断片や小さな断片がかなりの数、洛陽から出土しましたので、最初の断片の拓本はほとんどみなくなりまして、逆に観ることが難しくなるという変な事態になりました。
 神州国光社の影印図版で、光緒二十二年出土の残石拓本をだしてみます。 まわりに偽の印が多数おしてあるそうですが、まあ無視してください。 題は甲骨発見の立役者 王い栄じゃないかと、神州大観の説明文には書いてありました。
三体石経の原石は、日本にも大きなものが所蔵されています。東京の台東区書道博物館に2点、京都の藤井有りん館に1点あります。
Source: 神州大観 第11号  民国6年3月、神州国光社
e0071614_10305187.jpg

by reijiyam | 2008-04-08 10:34 | 蔵書 | Comments(0)
<< 鹿児島 寿蔵の人形 唐 張令暁告身 その3 >>