「朱舜水先生を悼む」 安東省庵

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 反故の中から出てきたような巻子だが、この古文書、どうやら日本に亡命して水戸黄門のブレインになった明の学者 朱舜水(1600-1682)を、安東省庵(1622-1701)が悼んだ文の真筆らしい。安東省庵は、朱舜水が長崎にきて逆境にあったとき、弟子になり俸禄の半ばを6年間援助したという篤志の学者であり、福岡県柳川藩の儒者だった。訂正が全くなく、比較的良質の紙高の高い紙に書いてあり書風が一致している。後世の写本と比べても真筆の書風書き癖に酷似する。おそらく水戸藩の学者に送ったものではなかろうか。とすると、天和2年1682年の書ということになる。冒頭は無惨に消失しているが、それでも表装して巻物にしてあるので、かなり大切にされていたと考えられる。ただ、その後、虫が食い放題、表紙がなくなり何の文書か解らなくなって、貧架に流落してしまったということらしい。版本に収録されている文章とは、少しばかり文字が違うし, 剥落がひどいちはいえ最後に1行款記がある。版本では、「先生」で統一してあるが、ここでは殆ど「老師」である。「老師」というと現代中国語で「先生」の意味だが、明時代には科挙で合格させてもらった試験官のことだそうだから、むしろ明時代の風習を反映しているのかもしれない。その後、出版するとき、当時の文語体で一般的な「先生」に修正したのかもしれない。
  一見、眼をひくのは、厳格なタイ頭である。タイ頭というのは、科挙の答案・公文書・目上への手紙などで、「皇帝」とか先方の名前とかを、必ず行の先頭にし、しかも1字や2字持ち上げて書いて尊敬を表す習慣である。しかも重要度・身分差に応じて、1字と2字を区別する。「老師」「先生」は1字、「水戸宰相」「上公」(どちらも水戸光圀のこと)は2字持ち上げてはっきり区別している。自分の名「守約」(もりなり)をやや右に寄せて小さく書くのも中国の手紙や公文書の礼法であろう。また、目上の人名でタイ頭をするほどでもない人の場合1字前を空白にしている。こういう礼法も朱舜水先生直伝に違ない。
  朱舜水、安東省庵ともに長崎に関係があるので、興味深いものだと思った。歴史的にも面白い資料である。
by reijiyam | 2007-12-04 06:53 | 蔵書 | Comments(0)
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