争座位帖

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  清朝の拓本だと思います。末尾に「快雪珎蔵」という印があり、これは天来と親交のあった富山の若林快雪(文久3年~大正11年)の印のように推察しています。明拓というほど古く立派なものではないが、とにかく精密な拓本で隅々までみえ、いじって墨を入れてごまかしたところが殆どないようにみえます。
争座位帖の拓本はあとで墨を追加してヒビや欠損を隠し古くみせかけた拓本が非常に多い。そういう誤魔化しが相当古い時代から行われていたようなので、旧拓本も大抵、この災いにあっている。そのため旧拓本のほうがかえって文字の線が萎縮していたりする珍現象が起こるようです。


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近年、安氏刻本とされる古拓本も影印本として出現しているようですが、信じられません。争点になっている部分をピックアップしてイメージを挙げてみました。この比較的新しい拓でも、所謂「安氏本」の特色はでているようです。


  明の天順年間のころ西安にあった刻石は、王佐の「新増 格古要論」によれば、五石であり、かなり摩滅破損していたらしい。現在、西安碑林にある刻石は一石であり、それほどは摩滅破損していないから、別石です。五石に分かれた刻石からとった拓本らしいものはみたことがりません。仮に現在の石が古い五石からとった拓本からの重刻だったとしたら、五石にわかれていた跡がついていてよさそうなものでしょう。おそらく他所にあった別刻をもってきただけではないでしょうか。しかもこの「新増 格古要論」にいう五石本が安氏本だという証拠は何もありません。


 元時代の記述を読むと蘇東坡が精密に模写した争座位帖が多数あったこと。原本は宣和内府の崩壊とともに滅びたらしいことが推察できます。また、黄山谷も模写本を作ったらしいし、米元章も当然作っている。法帖をつくるときは一度模写本を作ってそれを貼り付けて彫るに決まっているのだから、原本を所蔵しなくても模写本があれば法帖はできるわけです。無論微妙なニュアンスが落ちてしまう可能性はあります。 そういう方法で作られた別刻ではないかと思います。また、 争座位帖の関中本系の拓本で宋拓と確信をもてるものがあるのか?ちょっと疑問に思っています。
by reijiyam | 2007-08-03 21:47 | 蔵書 | Comments(0)
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