玲児の中国絵画入門 18   董其昌と文人画

  明末の官僚書画家:董其昌(1555-1636)と文人画という問題をちょっと考えてみたい。

  中国絵画を語るとき、文人画という概念を振り回す人もいる。日本における、中国の文人画に対する概念として「中国の文人画というものは士大夫(文官官僚を中心とする読書人階級)によって代表される素人が描いた絵をさす」(REF.飯島勇 編集、 文人画、日本の美術第4号 至文堂 )
 だとすると、北宋時代の絵画のほとんどは文人画ではないし、有名な中国絵画の半分以上は文人画ではない。  
 こういう変な議論が横行するのは、中国において画に関する理論と実際の制作がかなり乖離しがちなことが原因である。
 例えば、北宋の画家かつ官僚であった郭若虚はその図画見聞志に「昔の優れた絵画は全て高位高官の人々や高潔な在野の教養のある隠者が描いたものだ」「人品が既に高いのだから気韻が高くならないわけはない。気韻が既に高いのだから絵に生動が出ないはずはない。」という階級が読書人でなければダメと主張しながら、その各論で絶賛している画家は多くは職業画家で下手すれば文盲に近い人もいあたかもしれないようなムチャクチャな矛盾を平気で記述している。
 このように、絵画史の初めのころから、「理想の画家イメージ」と現実が、かけ離れていたのであったが、実は明末までは理論は理論、実践は実践で相互に無視していたような状況だったように思う。

 ところが、明末万暦ー天啓年間に受験勉強の天才で文部副大臣にまで成り上がった董其昌がでて、理論に現実を合わせようとしたから、おかしなことになった。おまけに多様な絵画が輩出した明末において、董其昌は一つの新機軸を出したから、ここで「高級官僚の素人画家」が具体化したのである。おまけに董其昌は「書画の特技で暴利をむさぼっている」と非難されたぐらいだから、自分とその仲間の絵画流派こそが正統だと主張した。これは商売敵を撃滅するシェア争いのようなものだ。
 もっとも、確かに董其昌の作品には結構面白いものがある。

 この四十三歳、1597年に友人のために描いた婉孌草堂図は、そうとう変である。


玲児の中国絵画入門  18   董其昌と文人画_e0071614_1705960.jpg





空間がおかしく、モノが宙に浮いて漂っているような感がある。なんとも不思議な絵である。ただ技術的にはさして優れているわけではない。こういう面白い絵ばかり描いているわけではなくどうということもない平凡な下手な絵ある。また代作もずいぶん多かったようだし、むしろ代作のほうが技術的には優秀な絵が多いような感じがする。 下の台北國立故宮博物院の奇峯白雲図なんて、何度もみているがどこが良いのかさっぱりわからない。

玲児の中国絵画入門  18   董其昌と文人画_e0071614_1781164.jpg




 董其昌のプロパガンタの副作用として、「下手な絵でも高位高官の絵なら価値がある」ということになった。一方、董其昌の実人生をみると腐敗官僚そのもので、到底「人品が高い」とはいいかねるものであった。董其昌自身が彼の理論を裏切っているのである。董其昌のインモラルな快楽主義は明末の陽明学+禅学の影響のようにもみえる。あの李卓吾と意気投合した人だそうだ。ところが、清の康煕帝が董其昌の書画を好まれたので事態が悪化した。悪口が言えなくなり美化されたのである。そのために清時代はまあボロがでなかったのだが、「文人画が職業画家の絵画より優れている」というのは、もともとかなり無理な理論だったのだから、現代まで一部に残照はあるとはいえ、だんだん棚上げされるようになってきた。その有様は、既に、乾隆時代の方士庶の画論にもほのみえる. 「写実を軽視するような理論を振り回す人は絵が下手なんだ」とか書いている。

この件は、
文人画とはなにか


という文章にも書いておいた。

また、董其昌の悪行を暴いた著作として、福本雅一, 先ず董其昌を殺せ, 明末清初, 同朋舎出版, 1984, 8, 、及び「董其昌の書画、二玄社にも収録
がある。

実際、明末の高級官僚画家にはずいぶんな人が多かった、ある人は男色家だったし、ある人は清の軍勢が攻めてきているのに戦費を横領して芸者遊びに耽溺した。

高級官僚が「人品が高い」とは到底いえないのは、現在の中華人民共和国の幹部をみても想像できるのではなかろうか。



by reijiyam | 2015-05-03 17:08 | 中国絵画入門 | Comments(0)
<< 玲児の中国絵画入門 19 四王呉惲 玲児の中国絵画入門  17  ... >>