ここで、ちょっと、前に挙げた鳥瞰図という5項目に立ち戻ってみる 1.北宋時代の山水画と花鳥画と白描画、 2.元末四大家(黄公望、呉鎮、王蒙、倪雲林)、 3.明中期の蘇州四大家(沈周 文徴明、唐寅、仇英) 4.明末清初の爆発的な多様化 5. 乾隆アカデミズムと揚州派の時代 南宋時代が抜けていて、明前期の載進などのいわゆる浙派も無視されている点が気になるかもしれない。 実は意図的にそうした。 それは、日本人が昔(あるいは今でも)尊重した「宋元画が最高」という見方を一時的に破壊したほうがいいと思ったからである。 この「宋元画」の実体が「南宋から元、明初」の「水墨画・花鳥画」であったからだ。それも水墨画は南宋末の牧谿などの禅宗寺院関係のもの、花鳥画は小品で茶席にかけるのに好適な精緻な作品が好まれた。 ただ、南宋画といっても大きなものは殆どないし巻子本もない。元時代といっても、趙子昴や元末四大家系統の絵はなく、禅林関係の水墨画が多い。また明時代前期のいわゆる浙派の絵画が宋画というふれこみで輸入されたことも多かったようである。 そういう当時のコレクションの実体を覗く窓として、鎌倉円覚寺の塔頭にコレクションされた書画や器物の目録:佛日庵公物目録がある。これは、南北朝時代貞治二年同四年 足利義満が将軍になる少し前の記録である。 絵画鑑賞の場が茶席になった結果、足利義満のころの豪華で放胆な茶会はともかくとしてわび茶の三畳の席では大きな絵や長い巻物など観賞することは不可能である。そういうものをうまく切断トリミングして茶席にむくものに仕立てることが流行った。 そういう過程を経て、現代まで多くの優れた作品が日本に伝わり、それらが日本人の中国絵画のイメージを形成したのは事実である。 まず、牧谿の観音猿鶴三幅対(京都 大徳寺、 高172cm)だろう。これは長谷川等伯はじめ多くの画家に影響を与えたものだが、確かに重厚な傑作だと思う。 一方で、花鳥画としては、李テキの紅白芙蓉図(東京国立博物館 25.2x25.5cm ACE1197)、これはなんのかんのいってもやはり傑作だろう(imageは「紅」のほう)。 ただ、禅林関係の水墨画が多かったせいで「水墨画」が中国画の代名詞になってしまった。ところが純粋な水墨画は中国絵画には少ない。たいていは淡彩併用である。それで明清の中国画をみると拒否反応を起こすという変な風潮が生まれる。 また、相当劣悪な絵画が「宋元画」というふれこみだけで尊重されるという奇妙な副作用もでた。 例えば、江戸以来の中国画小品収集の代表である 唐絵手鑑筆耕園(六十図)を覗くとわかる。 良い作品もあるが、花籠図や鼠図などは、なんでこんなものが入っているのかと思うくらいである。写真より実物はもっとひどい。 馬麟は 根津博物館の小幅(縦51.4cm 横26.6cm)が 日本で有名だが、 台北 國立故宮博物院の 馬麟 靜聴松風は、227x103cmという超巨大で,全然違う。。 いわゆる南宋の絵画、宋元画でも、日本での観念とはどうも違うんじゃないか?と思うんですよね。 結局「お茶に使えるかどうか」で絵画の価格が左右されてしまう市場に永く慣れてしまうと、「宋元画」というだけで、なんかオーラができてしまうんで、それ以外の中国絵画は「高く売れない」「商売にならない」ものになるのね。 まあ、お茶の人はそれでいいんじゃないの。 ただ、中国絵画全体を観る場合は、日本の絵画史全体をみるときに「琳派」しかみないようなものですね。 勿論琳派は素晴らしいがそれ以外にも大きな活動があるわけなんですね。 まあ、南宋時代の画院で最も特色があるのは、夏ケイが描いた渓山清遠図巻(台北國立故宮博物院)のような画風でしょうね。雪舟が学んだ画風です。これは模本だという説もありますが、ネルソンの十二景図巻よりはずっといいでしょうね。前、雪舟展で十二景図巻の本物が展示されているそのすぐ上に、この渓山清遠図巻の写真が展示されておりました。写真でもよほど十二景図巻より迫力があったのには驚きでした。
by reijiyam
| 2015-04-29 15:42
| 中国絵画入門
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