玲児の中国絵画入門 11 元末四大家



鳥瞰図で文字だけであげたものを実例で絵解きする続き。
ただ、これも、あまり しっかりした解説ではなく、ゆるい感想程度ね。

元末四大家ってのは、元地代末明地代初に活躍した四人の画家「黄公望、呉鎮、王蒙、倪雲林」です。

後世の絵をみると、この四人の誰かの作風をまねましたあ、と書いているものがやたらと多い。
書いてなくても、あ、まねしたな、と思われる絵も多いんだな。


なんでそんなに模倣されるのか。明時代後期以降さかんになった「文人画」という理念、官僚や官僚予備軍の学者や僧侶・道士などがアマチュア画家として描いた絵画のほうが、プロの画家が描いた絵より優れているという迷信が流行った。これは、画家同士の派閥争いが原因だと思っている。
ただ、アマチュア画家が描きやすい様式技術というのが必要なんだな、これが元末四大家の様式です。

じゃあ、元末四大家の作品は未熟で単純な作品かというとそういうことはないわけで、やはり代表的な真作は、厳しく引き締まった優れた作品です。ただ、あまり多数残っていないですね。贋作偽作コピーもやたらと多いしね。


 まず、黄公望(1269-1354)、この人は役人を一時やってましたが犯罪に連座して入獄し、諦めてしまい、三階教の道士をやってました。代表作は、この富春山居図巻(紙に墨、台北 國立故宮博物院)
この作品は一見平凡でありきたりでそっけないですが、後世の画家の作品の数十点分が一作品に入っているような感じがします。源泉というか、まだ未分化な定型化していない創造の息吹を感じるんですね。


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 呉鎮(1280-1354)、この人は浙江省の嘉興で易者をやってました。画家としてもセミプロみたいで教科書みたいな墨竹譜を作ったりしています。面白いのは草書が得意で草書で書いていることが多いんですがその草書が、あの唐時代の懐素の絹本小草書千字文=千金帖=蘭千山館本と良く似ているんですね。

それであの千字文は実は呉鎮の作品ではないか?と疑う人もいます。私はそうではないと今は思っております。
 山水画では、五代北宋の董源と巨然の様式を典型化類型化したような作品があって、後世考えられている董源と巨然の様式は彼の絵のフィルターを通しているのではないか?特に巨然の絵とされている絵のなかで呉鎮の絵があるのは常識となっています。そういう山水画よりも、むしろ墨竹のほうがいいかな、と感じております。
 フリーアの風竹図
はとても有名ですが実見したことがないので、実見した台北國立故宮博物院のものをあげてみます。

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 元末四大家といっても次の二人は明らかに一世代後です。

 倪雲林(1301-1374)  「瓚」という字がでないことが多いのでこのような表記にしました。彼は無錫の大富豪の庶子で気楽な趣味生活をやっていました。 収集した名画劇蹟も多く現在まで残っているものもあります。また潔癖家として有名ですが、日本人の感覚では普通じゃないの中国人は汚すぎ?と思います。
 頼りの長男が死んでしまい、家を継いだら経営手腕なし、悪徳官吏(現在の中国共産党の地方幹部そのものです)との交渉能力無し、結局家をつぶして、放浪生活に入ったという人です。

 作品(及び贋作とコピー)は、だいたい皆 代表作の容膝斎図(イメージ  台北國立故宮博物院)のようなもので似たり寄ったりです。まさにケーヒル先生のいうHills beyond Riverなんですね。従って一見簡単にマネできそうにみえるので膨大な贋物があります。そして真跡と思われるものがとても少ない、10点以下だと思います。しかしながら、本物をみるとかなり特色があり、意外に、贋物と本物の区別ができそうな気がします。

 それにしても、京都国立博物館に入った上野コレクションの一つ雲林六墨とかいう画册(博文堂で影印)は清初のキョウ賢の作品をいじったものでしょう。あまりにも露骨で笑いました。

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 王蒙(1301-1385) 現代の作家にも同名の人がいますね。この人は宋の王族でフビライに仕え元初の文化をリードした趙子昴の外孫ですから、結構いいところの人なんですね。で、基本的には官僚でした。
 王蒙風の山水画様式は倪雲林の正反対で非常に煩雑でパワーに満ちたものです。相当体力野心もあった人なんだろうな。一応、代表作とされる青卞隠居図(上海博物館)具区林屋図(台北國立故宮博物院)をあげてみます。

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 ただ、王蒙自体が明時代にかかっていることもあり時代が文徴明の時代と接近しており、現存作品が多いこともありますが、沈周文徴明など明中期の画家に模写模倣された作品が非常に多く、区別がつかない状況のように思います。実際、國立故宮博物院の傳移模写展で3点の花谿漁隠図を対照してみることができましたが、かなり難しいと思いました。
 
 ただ、この様式自体はその後もずーーと影響力が大きく、清時代中期まで、あるいは現代まで影響があると思います。東京国立博物館の文伯仁  四万山水図にも大きな影響を感じます。

by reijiyam | 2015-04-08 11:13 | 中国絵画入門 | Comments(0)
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