清明上河図の修理箇所については、
以前にも書いたが、もう少しわかりやすくイメージをだしてみようかと思う。 中野美代子教授も勘違いしていたし、細かく観察している人が意外にいないようだからだ。 まず、一九五〇年代の写真をみてみる。 前半のこの部分、赤線で囲ったところはオリジナルの絹ではない。おそらく明時代に修理して絹を補って補筆したところだ。描き方がまわりと全く違う。 でそれが、現在はどうなっているのだろうか? 1985年のカレンダーに使用されたカラー写真だが、 補っていた絹を剥がしてとって新しい絹にしてしまい、屋根、土塀、樹木などのところを少し補筆してある。 昔の写真をみればわかるように絹の断裂が非常に多く、まるでジクソーパズルのようだ。日本の平安時代の仏画などもX線でみたら実は似たり寄ったりの破損状態であることが多い。したがって清明上河図の他の箇所にも似たような破損修理箇所が多数あると思う。特に前半がひどい。 ただ、おそらく一九七〇年代におこなわれた修理は大変巧妙で、うまく絹の継ぎ目をかくしているようで、上海で実物でみたおり観てもなかなかわからかった。
by reijiyam
| 2012-01-18 09:51
| ニュースとエッセイ
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