富春山居図 剰山図の加筆

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 それにしても、剰山図のひどい虫喰いをみると、剰山図への加筆は、かなり後世18世紀ぐらい以降に繰り返しおこなわれたものではないか?と思います。なぜなら、このひどい虫喰いは無用師巻には、めだたないからです。修理かとおもいましたが、そこまでひどい痕跡は無用師巻にはみえません。
 とすると、1650年ごろ離れたあと、呉其貞のもとにいったときにはまだ虫喰いがあまりなかったということになります。加筆は虫喰いの上にあるものもありますので、少なくともその部分の加筆はその時点からそうとうあとに実施されたもののようにみえます。呉其貞は骨董屋さんで、しかも剰山図の価値を高く評価してましたから、虫喰い放題にするようなことはなかったでしょう。財産ですから。従って虫喰い更に加筆が呉其貞よりずっとあと2世代以上あとに行われた、と推察できるでしょう。
by reijiyam | 2011-08-06 10:07 | ニュースとエッセイ
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