寄贈品の死蔵を考える

  二月二十二日まで京都国立博物館で開催されている筆墨精神展は、朝日新聞社主:上野理一氏が昭和35年に寄贈した上野コレクションが軸になっている。つまり寄贈後五十周年記念というわけだ。そのため朝日新聞のサイトにも大きなCMがのっている
また、上野家に現在あるもの、上野家旧蔵で寄贈・購入などで博物館に移ったものも多数展覧されている。
  当方の手元に、当時寄贈したときの、内部資料目録がある。ガリ版刷りの粗末なものだが当時出た薄いパンフレットや後に出た豪華な大きな図録と違い、全部の品がエントリーされている。

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  これを読むと驚くべきものがエントリーされている。

  夏木清蔭図 董源(五代南唐) 2.963x1,160 一幅
  松峰高士図 董源(五代南唐)  2.167x968 一幅
江山平遠図 巨然(五代南唐~北宋)  1.788x1.009 一幅

  雲林六墨  倪雲林(元末明初)一帖
 などなど
  五代南唐の董源の絵なんて、まともなものは事実上無く、良い模写でさえ結構貴重である。また巨然の絵はまだ信頼すべきものがないわけでもないが(異論は多いだろうが)、まともなものなら国宝級、精密な模写でもありがたいものである。また、倪雲林の作品なんて非常に少ないから少々怪しくてもチェックの意味はある。
  しかし、今回の展示でも全くでてないし、京都国立博物館の平常展でもかってみたことがない。

  なんという死蔵! 不見識であろうか? と思うのが普通であろうが、これには裏がある。  

古い雑誌に、これらの董源と巨然の絵の図版をみつけることができた。
  夏木清陰図:この構図は南宋以降でないとあり得ない構図である。山の描き方からすると明時代以降の絵画だろう。五代南唐の董源の600年以上あとの絵である。

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  松峰高士図:これもまた南宋以降でないとあり得ない構図であるが、山の形、木の枝振りの奇妙さはちょっと変すぎる。17世紀ごろの擬古的な作品ではないか??
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  この2点の董源の伝承のある絵画は、董源とは全く関係がない。
  
  江山平遠図 これは横に長い巻物の一部を切断して拡大したような絵画である。もとは何枚かの揃いの屏風だったのかもしれない。 これは樹法などは少しましなところがあるが、遠くの山の感じは 巨然とはほど遠い。董源や巨然といわれていた絵画を大きく部分拡大して作ったものではないか? 明代後半??
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  これらは画家の名前だけは有名だが、実際は全く違う人の絵画にそういう名前をむりにつけているのだ。無名の画家の絵では高く売れないからこういう改造をしたのだろう。


  雲林六墨 : 希少な倪雲林の作品が6点もあるといういうのは凄いっと思うが、今、図版をいだせないが、私はこれの博文堂の影印を立ち読みしたことがある。なんと皆17世紀のきょう賢の作品そっくり、たぶん17世紀の作品を改造したのではないか? 倪雲林の300年も後の作品である。


 まあ、こういうものを寄贈されても、そのときは感謝してうけとってもあと、あと展示に使おうとおもってもできず、結局しまいこんでしまうのが一番責任逃れになる、ということになるのである。

 勿論、時代が変わって評価基準が変わり復活するものもある。例えば伊藤若冲なんかは30年前は現在ほどはもとはやされることはなかった。奈良絵本なんか昔は下手物あつかいだった。
 そうはいっても上記のようなものは困ってしまうだろう。

ニューヨークのメトロポリタン美術館のように、寄贈された絵画を一年もしないうちにオークションで売ってしまい、寄贈者や遺族から訴訟される美術館もある。日本ではいくらなんでもこういうことはできないだろう。
 しかし、死蔵はやはり問題なので、

  寄贈者の相続人代表や寄贈法人に
「寄贈者への返却 または当館が処分(売却など)をすることへの同意」を申し出たらどうだろう。 

「御寄贈後 10年間、当方で展示もせず公衆のために有効利用できず心苦しい、当館の展示傾向とはあわないように思いますので」とかそれなりの口実はできるだろう。

税法上は贈与になるが、こういうものなら評価金額も低いから譲与税もほとんどかかるまい。 また特別な控除枠を法律でつくるという手もある。
 処分オークションをしたら案外中国人が転売目的で群がるかもしれないよ。
by reijiyam | 2011-02-13 15:24 | ニュースとエッセイ
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