北宋時代とされるこの仕女画像セン の拓本は 民国時代の天津の収集家 方若 が制作したものだ。原件のレンガ4枚を方若がもっていた。今は北京の国家博物館(旧 中国歴史博物館)にある。
その中の1枚の拓本は、既に紹介していたが、今回2枚とも紹介することにした。
なぜなら、最新の
Orientations の最新号
https://www.orientations.com.hk/past-issues/p/janfeb-2024
に、同類の画像センについて、拓本ではなく、ドローイングがあげてあったので、意外に思ったものだ。この記事では、この女性がかぶっている大きな頭飾りについて細かく議論していた。出土品では銀製のこのかたちのものがあるそうだ。
もともと骨董品として売買され天津の方若のコレクションにあった物な上、あまり他に類例が知られていないようにみえたので、「北宋」という時代推定と、「河南偃師出土」ということに、どういう根拠があるのか疑問に思っていた。もともと王国維は「観堂集林・別集・古画セン跋」で「六朝時代の画像セン」とみなしていたそうだ(ref2)。
この画像センは、一応紹介されたことはあるが詳しい解説がされたかどうかは知らない。
外文出版社が、雑誌「文物」のコラムなどから日本語に抄訳した記事を集めた1983年の一般向けの本(ref1)
に、短い文章があった。実は、これは1979年の文物でのコラムを更に短くしたものである。ただし、これら(ref1,ref2)に採用されている図版は粗雑でテーブルの上の器物の細部はわからない。
このもともとの文物のコラム(ref2)を読んで、ようやく根拠がわかった。1955年4月の考古学的発掘で「河南省偃師の宋墓で同じもの(4点のうちの1点 魚をさばく女性と同じもの)が出土した」という事実があったと書いてあった。[北宋]というのは、南宋時代には河南省は金領土の上、国境地帯になり、首都べん京も河南ではあったが荒廃したからだと思う。
ref1 二千三百年前の古代中山国の謎ー中国の文物と考古選集ー、外文出版社、北京、1983
ref2 石志廉、北宋婦女画像セン、文物、1979年第3期87-89p、文物出版社、北京