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日記の2011年04月26日に
法隆寺の拓本の真偽 http://reijiyamashina.sblo.jp/article/44552883.html という記事で、貧架の拓本はわりといけるかもしれない、と書いた 2011年4月30日に法隆寺大鏡のコロタイプ写真をアップしていた。 法隆寺の拓本のもとは http://reijibook.exblog.jp/14693516/ 再度、現物写真と詳細に校合した結果、本物だろうと思うようになった。 その理由は、まず2行目下部の「上宮」の宮の右脇に曲がりくねった傷があるが、これが一致していること。 ![]() ![]() もっとも、文字に近接した破損は亜鉛版や模刻でもしばしば忠実に再現することがある。 そこで、更に確実な証拠として、4行目末尾の「深」の右脇にある長方形の短冊のような跡がある。これはおそらく鋳物にいれた支えの跡で、他所にもあるが、拓本にはほとんどでないのだが、ここに限ってはかろうじて拓本にでている。こういうところまで再現することはまずないので、一応信用することにした。 ![]() ![]() ![]()
最近、某サイトで阮元の高弟 陳経が自分のコレクションを図示した求古精舎金石図という本の(嘉慶18年序)のイメージをみた。
![]() これは、1世紀ごろの文字入りレンガの文字を模写し木版画にしたものだが、まさに同じもの、それも木版ではなく陳経自身が採った拓本が貧架にある。 ![]() 「陳経」の印もある。この拓本を収録した冊には他にもレンガ文字の拓本があり「求古精舎」という印もあるものがあるので、嘉慶ごろ、陳経の手拓を多く含んでいるものであることは間違いなさそうだ。私は、この冊を、仮に嘉道名流蔵セン と名付けているが、この名を確実にして良さそうだ。 ![]() まあ、こういうレンガの文字というのは、当時の公文書や手紙の文字と違ってかなりレタリング的なものなので、こういうので書道史を構築したんじゃいけないのだが、嘉慶道光ごろでは、西域出土残紙も呉の木簡もないので、こういうものから王羲之時代の書を想像したりしたわけである。 その結果が 阮元の大胆な理論や李文田の蘭亭偽作説になったわけで、それはそれで研究史として非常に面白いものである。現在もまたなんらかの誤解・情報の歪みにおちこんでいるのかもしれないと自戒するところではある。
この鎌倉円覚寺にある佛日庵公物目録は、南北朝時代貞治二年同四年 足利義満が将軍になる少し前の記録で、
日本における中国絵画・器物・古陶磁・漆器・唐物の研究にはよく言及される文献である。 鎌倉遺文 には入っているのだろうが、 [昭和8] 刊(コロタイプ).巻子本から、全貌を紹介してみたい。 ネットでは、活字での紹介もないと思う。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 明時代末期 天啓6年の序があるこの本は2冊完本(たぶん)が上海博物館に1963年に入った。 木版画で制作した模様や絵のある便箋のサンプルを集成して本にしたものである。 従来、知られていたのは 東京芸術大学にある下冊だけの1冊で、大正12年に大村西崖が図本叢刊の一つとして複刻した(上のイメージ)。この複刻はなかなか良いもので、浮世絵の伝統の上に立って刻工、印工の名前まで入っている。大村氏邸宅は今の神楽坂近くにあったようだ。 この大村西崖氏については、矢代幸雄氏が「忘れえぬ人々」というエッセイ集の一つに生き生きとした思い出を書いている(矢代幸雄著作集に収録) 大正12年1月10日印刷15日発行 大村西崖 東京牛込矢来町3 刻工 前田賢太郎 印工 本橋貞次郎 東京京橋銀座3丁目20 ここで、この本に付属したチラシを紹介しておく。こういうものは散逸しやすいものだ。 ![]() この蘿軒變古箋譜は一部にエンボッシングを使って模様を表している。例えば上の絵の真ん中の鳥はこうだ。 ![]() また、こういう容器をさりげなくエンボッシングしているのが上品高雅である。 ![]() ところで、大村氏は蘿軒という号から康煕年間の翁嵩年と考えていたのだが、実は上冊には、天啓年間の序があって、呉發祥 の作だということがわかった。同じ蘿軒という名前を使っていたので間違えたのだ。呉發祥 自体、南京の地方の記録にしかでてこない人であったのだから、間違うのも無理はない。 2冊本を収蔵してる、上海博物館も複刻本を出版している。大きな本だったし高価でもあったので、入手してはいないが、ちょっと派手な色になっている。ただ、現在ある本は、350年以上の時間で染料顔料が褪色しているだろう。そういうことを考えると上海がかなり派手に再現したのも間違いとは言えないのかもしれない。 ![]() 一方、上海博物館では、蘿軒變古箋譜の一部を使って、本物の使える箋紙を発売したことがある。 これは友人が買ってきたものだが、少し強引に奪うようにして譲ってもらった。 あまり手の込んだ頁ではなく、簡単な動物のところだけを使ったものだが、箋紙そのものなのが嬉しいものである。
上海博物館が2003年4月 450万ドルを投じアメリカのEllsworhから淳化閣帖第4、第6、第7、第8の4巻を買った。これは、淳化閣帖 最善本 真宋本と 宣伝されているが、果たしてその名に値するものでしょうか?
2008年8月29日に 安思遠本淳化閣帖への疑問http://plaza.rakuten.co.jp/yamashinaReiji/diary/201008290000/ というものをアップしたが、印章の裏移りがこんなに激しい本は他ではみたことがありません。 ![]() 他の李宗翰 旧蔵拓本のカラー写真を出来る限りチェックしてみたが、この「最善本」6,7,8のような裏移りは全くといっていいほどみることができません。だいたい李宗翰に限らず、ごく平凡な古い本や拓本帖でも蔵書印が裏移りがするような例はまずないのです。 ところが、この場合は、「貴重なはずの」「南宋賈似道(1213-1275)の印」の上にまで裏移りしてしまっています。 ![]() なんか心配になって私が昔押した蔵書印もひっくりかえしてみてみましたが、そう所蔵環境がいいわけでもないのですが、一つも裏移りはありませんでした。 実は他でただ一つみたのが、朝日新聞創業者 上野理一さんが蘭亭に押した印で裏移りがあった記憶があります。上野理一さんって結構粗雑なんだなあ。。と感じたものでした。まあ、当時の新聞屋だし、今のマスゴミだからなあ。 さらにひどいのは、賈似道の貴重な印影の上から、李宗翰の印を押しているこの例まであります。 これは裏移りですらなく確信犯です。 ![]() どうみてもおかしすぎます。おそらく、あまり知識経験のない後人が急いで押したので、この惨状になったのでしょう。 6,7,8巻とは異なる淳化閣帖第4は、呉栄光の所蔵であったことはまちがいないようですが、こちらにはそういうひどい裏移りはなく、強いて言えば終わりのほうにひとつ「荷屋所得古刻善本」がうっすらと対面にみえるぐらいです。6,7,8のような激しい裏移りはありません。 雑誌 書法 2005年8期で、 王鐵という人が「弁疑最善本淳化閣帖」という文を書いてます。これは、歴代の印章が偽印であると主張している物ですが、必ずしも正しいかどうかはわかりません。「偽物だ-」と叫んで自分を売り込む人はずいぶん多いので、眉つばもので、再検討が必要でしょう。ただ、古い時代の記録と現状が合わないことは確かです。また、翁方綱から李宗翰への手紙としてあげている記事を王鐵氏は引用しています。たぶんこの6.7.8のことでしょうが注目に値します。 翁方綱は、「淳化閣帖は孫退谷の印があるが評するに足りないもので、明時代の翻刻本数種と比べると粛府本の下にあるもの」と酷評しています。李宗翰はがっかりして返却したか売り払ったかしたのではないか? 倉にほうりこんでしまったかもしれません。 おそらく 清時代末期時代に、李宗翰所蔵本が出版されたり高価に取引されたころに細工した人がいたのではないかと考えております。
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